2007年11月25日

安楽死について

安楽死について。

さっき、テレビ見ていて、とても衝撃的な番組をみちゃったので
書かずにはいられない。。

番組の司会進行役に定評があるAnne Willさんの番組。
彼女は司会進行だけではなく、よりよいジャーナリズムを探求しているのが彼女の姿勢である。そのよく準備された確かな情報量と本人を目の前にしたシャープな突っ込みで自分の番組をもつようになった方だ。観客のそこが聞きたいんだよ。ということを政治家だろうが、社会的に地位があるお偉いさんだろうが関係なく、ピシャーと言ってくれたり、えぐってくれたりする。そうそう、そこそこ。そこどーなっているの。ということを聞かせてくれる方だ。突っ込みを受けた人は、それでも彼らの立場を守ろうとして時に、弁解のようなものを口にするのだけれど。ここが生のこわいところ。観客にはすぐばれるのよおー。日本でいうと筑紫哲哉さんや田原総一朗さんみたいな存在か。Anneさんは66年生まれで長髪のまだ少女っぽい印象のある彼女なんだけど。。その彼女が切って、切って、きるわけ。

本日、Das Ersteでの日曜日夜のテーマは
“安楽死について”

お、重いけど。

こういうことを公にディスカッションしちゃっていいわけ?
とあんぐりだが、あれよあれよという間に番組は始まっていく。

Das Ersteというテレビ局は、日本でいうとNHKみたいな存在か。
8時のニュースはここのを欠かさず見たいという人が大半で、
この番組の標準語を基準にしなさいと、語学学校でとことん言われた。

テレビ局として信頼を得ているところが、
このテーマを扱っているということは、結構、この話題は真剣で、
真剣っていうことは、もしもの場合、安楽死も一つの可能性として考えたいという人がいるということ。

もう、すでにスイスでは許可されていて
ドイツ人でスイスにまでいって安楽死を選択する人もいるという。
この安楽死につきそった、ある女性が番組のはじめに登場した。

彼女の友達の安楽死に付き添ったという女性は、その人はがんに犯されていて、子供もいなければ、親戚もいず、夫にも先立たれていたので、あとに残すものがないということで、手術をするか、様子を見守るか選択を迫られたけれど、自分はそういった訳で、もう誰のためにも生きるということはないし、せめて、自分は最後まで自分の髪の毛を保ってもいたいものだとして、親友に安楽死ができるところを探してもらうように頼んだそうだ。ドイツでは法律的にそれは許されてはいない。安楽死を希望した彼女は、大の親友とそれからコンサートに行ったり、行きたかった旅行をしたりして、最後の人生を楽しむだけ楽しんで、時間がきたといって、前から話をしていたスイスにある施設に出向き、そこで彼女の最後を見届けたというのだ。この話してくれた本人も、もし私がこのような不治の病になって、人生が限られていると分かったならば、私も子供がいないものだし、彼女のように安楽死を望みたいと語っていた。

この話をふまえて、今夜のディスカッションに入っていく。

CDUの政治家はドイツが安楽死の法律をつくることに反対。それはキリスト教民主同盟らしい、宗教的な意見からということではなく、かなり冷静に見ていたのが印象的だ。すでに安楽死が法的に許可されているスイスや他にオランダ、ベルギーの例を出して、死の商業化に懸念を抱いているこの政治家の姿勢がみえてくる。また周りの国の様子を湛然に伺っているドイツ政府の態度も浮かび上がってくる。安楽死を希望している人はそれはその点だけ必死で、背後に動いているもは見えないのだが、実は、安楽死用に死へ促す機械も開発されているし、しかも大量に処理する事もできるようなシステムが生まれつつある。このような死にまつわる商業化をとらえていくか、かなり疑念があると。

医者の立場からいっても、断固、安楽死については反対という女医さん。

また、昔女優さんで、当時は失恋の痛手で自殺未遂経験があるが、
今はグリューン党の政治家になった女性は、自分は意識的に死ねぬのなら
安楽死を望むという。母親がぼけてしまって、意思疎通が困難でも介護したのを経験して、自分だったら、意識があるうちに、安楽死を望みたいとしていた。

それから、昔ブレーメン市の市長で法律などにも詳しい方は、法律上問題は、自分から進んで死ぬ自殺と違い、安楽死は、人の手がかかる。それはほとんど医師の助けが必要となるのだが、人の死を助けた事による人道的重荷がが彼らにかかってくるのが問題であると。

ディスカッションの途中で特別ゲストとしてカトリックの司祭が出て来て彼の話を聞く。この司祭は何千人という人の最期に関わった人だし、不治の病だという人に毎日必要とあらば説教をしていた人だ。とにかく、今日あなたがここにいて、生きていることはよいことです。あなたの生は死(自然死)をも含んでいます。それを受け止めなさいと、説き、勇気づけていたと。彼は、自分で決めれ、人の手でできる安楽死に反対の立場だ。

もう一人ディスカッションの中に加わっていた重要な人は、スイスのある組織の代表で、ここで安楽死をオーガナイズしてくれる。彼の事業の一環を自ら紹介してもらい、結局いくら一人につき払わなければならないのですかという話題がでた。先に話がでた、友達を看取ったという彼女がインターネットで調べた時、よくあるものを購買するように他の会社との値段の比較をしたなんていう状況があったのかといった質問があったけれど、彼女は、その友達は真剣に死をとらえていたし、値段を比較するようなことはなかった、まして値段なんていうのは問題ではない。。
という風にでていたけれど、

そこで、Anneが一人につき5900ユーロかかるそうですねぇ。
とオーガナイズの代表に突っ込む。

ええ、しかし、その値段はまた上げなければならないと思っているところなんですよぉ。

なぜですか。

人件費にも、管理費にもお金がかかるので。
そして、場所を確保しなければなりませんので。。
私どもも拡大しております。。

と。

というとCDUの政治家が、ほらね。といったように
口を挟み出した。

Anneがそういえば、実はもう一つVTRがあるので
そちらをどうぞ。と

中身は、昔の同僚からの話で、彼女はオーガナイズの中心部で働いていた人。
2005年に解雇になった人だ。

彼女に組織の実態を語ってもらうVTRがぁ。。
放映される。

とにかく、精神的な欠陥があるという理由で解雇された同僚は
安楽死を望んでいる人が訪れるのだけど、その望んでいる人が死にいたるまで
の過程がものすごく早いと。衝撃発言は、その日に行われる事もあると。

というインタビューをみて、ディスカッションの場にうつる。

〜〜さん、これはどーいうことでしょうか。
とAnne。いろいろ彼は本題から逃れようと努力して、
Anneさんの突っ込みを払拭しようとしていたけれど
横にいた、CDUの政治家もいっしょになってまるで、子供をしかるような勢いで
だまってこの意見を聞きなさい!というようなお叱りもあり。

ディスカッションは、クライマックスを迎えるが、
Anneが、そろそろ時間となりました。と番組を終わらせて行く。

だれがよい意見の持ち主で、だれが悪いのか
そういったまとめ方ではなく、

だれが、どのような意見をもっているのか、その意見の背後にある動機がなんであるかが明らかにディスカッションの上で分かるようになっていく。言葉になったものは、もしかしたら彼らの社会的な強い意志が出ているのかもしれないし、実は社交辞令やなにかを守るための体裁かもしれない。けれどもいくらかの真実が見ているものに伝わってくるのが、生放送の醍醐味であるだろうし、録画とかDVDではなく、この時!にというライブ感覚は、遠いところの所と同時時に繋がれたいというテレビ製造の元々の動機だったと思う

というわけで、結果としては、スイスのオーガナイザーが
槍玉に上がった形だけれど、そうでもなければ、この組織の両側を
垣間みる事はできなかったに違いない。
この番組で安楽死をめぐるいくつかの状況がライブで聞き知ることとなった。

http://daserste.ndr.de/annewill/
Anne Will
politisch denken, persoenlich fragen

アンネ ウィル
政治的に考え、個人的に質問する。

  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(4)人間について。

2007年11月20日

1月にオーガナイズの展示! ”カリス”展

2008年1月9日から13日まで
ベルリン、プレンツラワーベルク区のジェネラルパブリックという
オルタナティブスペースで展示を企画いたしました!

http://www.generalpublic.de/current/events/article/134/19.html

"2 x Three Beauties - The Charites"
古来から「美」というものは芸術家の探求でもありましたし、芸術家を援助するパトロンの願いでも、それを見るものの興味でもありました。「美」と一言といっても、それがどのような「美」であるか正確には言いがたいものがあります。「美」とは、視覚的に快適さを与える感覚的な「美」であったり、時代精神やその地域が要求する社会的「美」であったり、またはパーソナリティやジェンダーが判断する感性的「美」があると思われます。

"2 x Three Beauties - The Charites"と名付けられた展示は 、二人のキュレータが3つの「美」を集めることで成り立ちます。「3つの美」とは、カリス「三美神」のことをも指しています。これらの美しい女神は、それぞれ愛(amor)、慎み(castitas)、美(pulchritude)を司どり、古代ローマ神話において様々な解釈をされています。私たちの展示では、古代ローマの政治家であり、思想家であり詩人であったセネカによる「三美神」の解釈からを元にして展示コンセプト(もともとこの考えはセネカ以前にあったようですが、書物として残っていないようです)を立ちあげました。

セネカは「恩恵施与論」の中で、恩恵について論じている項目があります。
以下
恩恵を与えたり、それを受け取ったり、恩返しをしたりする行為は、「優美さ」をともなっていなければならない。恩恵の三行為を三美神とあわせている。与える行為、受ける行為、礼を返す行為。恩恵のこの3つの行為はおたがいに綿密な関係にあり、しかも、恩恵を受けるのも、礼を返すのも手によっておこなわれるから、三美神は3人の姉妹でおたがいに手をつなぎ合って輪になっているかたちであらわされるという。三人の姉妹のうちのひとりは恩恵を与え、他の一人は受け取り、三番目は喜びを与えるからである。これら3つの段階は、いずれも完全の恵みのあらわれというべきである。
…..
ある人びとの意見では、ひとりは恩恵を与える者であり、他のひとりはそれを受け取るものであり、三番目はそれを返す者であるという。。。。。この伝達の流れがどこかで途切れると、全体の美しさは、壊されてしまう。


さて、セネカのいう、美しさとは何でしょうか。それは、恩恵という至福の巡回について語っています。与え、受け取り、感謝を表す(あるいはそれを返す)という行為が途切れる事なく流れつづけるならば、そこに美しさ、さらには優美さが現われるというのです。

この至福の回路を流すためには、当然のことながら誰かが最初に与える必要があります。感性、知性、理性の美などとさまざまな美がある昨今の芸術で、それができるだろうか。このような古代ローマの美にまつわる挑戦をアーティスト、キュレータがそれぞれに持ち、展覧会を構成していけたらと思っております。

コンサートなどイベントも用意しております。
お楽しみに。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(4) ベルリンアートシーン

2007年11月11日

外林さんの彫刻

11月のはじめに
新聞をさわがせている日本人の男性がいました。

外林秀人さん。
広島の原爆を生き残られた方です。
ベルリン在住50年。
ポツダムに広島の記念碑を立てたという記事です。

記念碑を立てるという行為は、かなり勇気ある行動だと思うのです。
まるでパブリックアートを立てるようなものだと思います。

暗い過去に口をつぐんでいたという彼。
日独センターでの話がのっていました。

その一つTAZより
訳したものを掲載します。
http://www.taz.de/regional/berlin/aktuell/artikel/1/hideto-sotobayashi-und-die-bombe/?src=SZ&cHash=e7fdd60e03

広島ー外林秀人と爆弾

16才で外林秀人は広島の原爆投下を経験した。
この50年間ベルリンに住む化学者が本日、初めてその日について語った。
この悲劇を繰り返さないために。SUSANN HOFFMANNの記事より

日独協会の事務所にある机に向かい外林秀人は座る。
この78才の日本人は震える手で冊子内にある資料を探している。
メガネごしに凝視している。本日木曜日、彼は彼の人生の中で最も悲惨だった日について語ろうとしている。外林は広島に投下された原爆を生き残った者だ。”原爆がいかに悲しくていかに破壊的か、私は人々に忘れてほしくないのです。”と、ちょっとクセのあるドイツ語で物理化学を教えられた教授は言う。28才の時奨学生となりベルリンにやってきた。それ以来ここで生活をしている。

落ち着いた声で彼はこの日のことについて口をひらく。1945年8月6日について“100機ほどの飛行機が早朝6時頃から町の上空を旋回していました。人々は非難勧告を受けていました。後に警告は解除され、人々は勢いよく町に出かけて行ったものでした。つまり強制労働へです。” 外林は当時エリート学校に通っており、第二次世界大戦中も勉強を続ける事が許されていた。彼と母親は市内地に向かった。その15分後に爆弾が投下された。

“何年たっても苦しいですね。そのことについてしゃべるのは”と、少々の間があり、彼のまぶたには、涙がややみえる。“私は当時16で23人の他の生徒と化学の授業を受けていました。きつい光線がきたかと思えば、次いでなんとも描写しがたい轟音が襲ってきました。その後校舎はとたんに崩れ去りました。”外林は爆心地から1,5キロしか離れたところにいなかった。時間の経過と共に、気が確かになると外林は怪我一つなく、がれきと灰の中に埋もれていることを悟った。周りを見回したが、同級生らしいものはいなかった。小さな炎が広がりつつあり、“逃げなければならないと思いました。そうでなければ焼かれてしまっていたでしょう。”外林はそこで思い出に浸っているようだった。我にかえり、“家に帰った時、その日は遅出であった私の父が迎え出てくれました。もし爆弾が30分遅く投下されていたら私の父は中心にいたことになっていたでしょう。”母親の行方で、父と息子は彼女の行方を探しにいった。広島市内に行く途中の道ばたの光景は外林の記憶に焼き付いている。“死んだ子供を腕に抱えている女性、体の皮膚がはげている人々、そこら中に死人。そして私の足を掴んだ負傷者。”具体的なジェスチャーで外林は説明する。

父と息子は母親を赤十字病院で見つけられると思った。そこには何百という負傷者が廊下にも部屋にも横たわっていた。“最後の部屋で母親をみつけました。火がちょうどその部屋に燃え移るところでした。”自転車の荷台にのせて母親を家まではこんだが、3日後に彼女は亡くなった。“でも彼女を見つけられたことはよかったです。私たちには運がありました。彼女を最後まで見届けることができたのですから。私たちはお棺をつくり火葬し、灰を畑に埋めました。”見た目には怪我をしていない友達がその後私たちのところにやってきたが、すぐに髪の毛が抜け落ちたり、歯茎の出血があったりなど放射線の影響で8月に死ぬものが多かった。“そして私たちは引越しました。ここで生活ができるとは思いませんでした。”彼は言葉を探して”広島にいなかった人たちは私たちのことをハンセン病者のように見たものです。私たちは弾劾されました。”しかしながら状況はだんだん緩やかになり彼の家族はうけいれられるようになる。彼は隣町の学校に通い、のちに京都の大学で物理化学を専攻する事になる。

この専攻の選択については、私の経験によったからという訳ではない。というよりもまったくx線について関係を持ちたくなかった。しかし“最後は自分に関わる事にになったのです。”というのは、ベルリン自由大学で研究したのはとりわけ重合体であり、X線ともそこで関連してくるのである。ドイツの原子エネルギーの歴史について彼は日本で本を出版されている。

広島に彼自身一年に一回は行くという。思い出のためではなく、広島の原爆の被害者のために日本が無償の治療を設けたためだ。糖尿の他、なにも健康には障害はない。“私には本当に運がついているのです。”

外林は精神的に充足した人物である。後世になにかを残したく、彼はポツダムの広島広場に記念碑を望んだ。1945年の夏4国会談が行われたこの場所で、当時アメリカの大統領ハリー・S・トルーマンがおそらく原爆投下に命令を下したところである。思い出と警告のための記念碑である。

  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2) ベルリンアートシーン

2007年11月10日

最新情報

最新情報

今夏ベルリンに滞在した照屋勇賢さんについて
テキスト以下アップしました。
http://la-condition-japonaise.com/jap/

また、自分のHPにて最近&近来の活動内容を更新しています。
http://erikawamura.com/jap/j-top.html


  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0) ベルリンアートシーン

2007年11月07日

「日本の外交文化政策」について講演会

11月7日10:30より
独立行政法人国際交流基金 理事長、小倉 和夫 さんの講演会
「日本の外交文化政策」にいってきました。

30人ほどが入れる講堂で、予想外の反響で、
残念ながら予約がとれなかった人もいたみたいです。

ごめんなさい。
宣伝しておきまして、そういった状況は把握できませんでした。

やはり文化一般全体的なことを1時間内でしゃべりきるっていうのは
難しいことだとおもいます。
小倉さんは60年代、70年代、80年代、90年代と10年ごとくくって
日本の流れを紹介していただいたように思えます。

その中でも、オーガナイズ側の重要性。
アートマネージメントの重要性を訴えていただいたのには感謝。

ただ、やはりお金とも絡んでくることなので、
結果、国際交流基金はマネージメントに関して金銭的に余裕があるのかと
いう考えが浮かんできてしまいますが、
実は、商業ベースでマネージメント業界の重要性はすでに認められていると
付け加えられていました。

最後に西洋と日本の文化の違いの一端として
話されていた“拍手”についての考え方が面白かったと思います。

劇場では、舞台があがると観客は拍手をしますが、
この心理的意味とは、私は舞台から今切り離されましたよ、ということ
変わって能の舞台では、舞台があがっても観客は拍手はしない。
これは実は、舞台と客席の境界がなく、舞台がおわっても
現実に同じようなことがつづきますよということを意味していると。

また、もう一つ、面白い発言は
パリから朝早くいらっしゃったということで、
ただ、空港であまりにも長い時間待たされることがあったと、
フランス人はバカンス、バカンスばかり考えて
仕事しなさい!とドイツ人に言っていたけれど、
(まあ西洋人なので、同じような人種かもしれません)

そういう風にぶっちゃけ、日本人の本音言うのもいいかと。
なんていったって、日本人はアリのように働いていると
いわれているのですから。。。

でも、逆に、日本人が西洋に文句があるっていうことが
明らかにされるのはいいことだと思います。

ビジネスでは摩擦になるようなことも、
文化交流では、時に無礼講にもなることがあるのです。

小さいところですが、
これが外交でもあると思うのです。

パチパチパチで終わりました。  

Posted by Eri Kawamura at 00:01Comments(0) ベルリンアートシーン

2007年11月07日

ヤン現われる、再び

おっとぉ。
おお、久々にヤンが事務所にいる。

えー。あんたなにしてたのー。
最近みないじゃー。

いや中国に1ヶ月いってきた。
えー。

それで、今中国に1年間家かりてるからー。即決で。
古い家で雰囲気がいいのよ。でも内装が気に入らなかったから
すべて壁ぶち抜いてもらっている。遊びに来てね。

へぇー。ずいぶんやることが大胆だねぇ。

その前はドバイ。
へ!

ポスターのコンペティションに行ってきたというのだ。
あ、遊びもかねて。

ドバイは、アラブ首長国連邦の首長国

空港で捕まったとか。

あんたー。なにやったのー。
と問い合わせると。

言葉が乱暴だったみたいなの。
男性に対する侮辱で。。。。

彼女としては普通に対処していたらしいのだけど。
たぶんベルリン調にぶっきらぼうで
ちょっと生意気な言い方の英語がでちゃったんじゃないかな。

ちょっと、来なさいと
いわれて、また騒いだら
持っていたデジカメを壊されたらしい。

警察呼ぶわよー。と叫ぶと、
いや、必要ない、オレが警察だ。
といわれて連行されたらしい。

なんかほんと、マンガみたいな話。

カメラを壊された時に見ていた人が何人もいたのだけど、
みんなその後、見てないって言っていたらしい。

それぞれの国にはそれぞれの習慣があります。

それから、その時に知り合ったガイドさんが
毎日のようにラブコールをかけてくるって、携帯に。

もうちょっと美男子だったら考えたけど。。

って、ヤン、あなたもあなたです。。。

今アーヘンで彼女のポスター展やってます。

ーーー
Ausstellungseröffnung/Opening/开幕式

///Ost trifft West/// – Ausstellung mit Plakaten von ///Yang Liu///
///East meets West/// – Poster Exhibition of ///Yang Liu///
///东西相遇/// – ///刘扬///海报展

Ort///Place///地点
RWTH Aachen
Kármán-Auditorium
Eilfschornsteinstraße 15
(Seiteneingang)
52056 Aachen

Datum///Date///时间
09. November 2007///18Uhr

Die Ausstellung wird von der Kanzler der RWTH Aachen
und von Leiterin der International Office Aachen eröffnet.

///Info///咨询/// www.yangliudesign,com  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)オフィス・プログラム

2007年11月03日

11月7日10:30

11月7日10:30より
独立行政法人国際交流基金 理事長、小倉 和夫 さんの講演会
「日本の外交文化政策」があるそうです。

英語にて。

場所はベルリン自由大学
Freie Universität Berlin,
Neues Seminarzentrum, Raum L115
Habelschwerdter Allee 45
14195 Berlin
U-Bahn Linie 3: Thielplatz, Bus Linie X11

彼はたった一日だけのベルリンで講演会ということらしいです。

無料ですが、傍聴希望の方は申し込みが必要です。
lesbarkeit-japan@fu-berlin.de

詳しくは以下
http://www.fu-berlin.de/veranstaltungen/kalender/2007/11/07/lesbarkeit-japan.html  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)