2019年09月30日

これ、もしかして?

ねえねえ。
昨日行った友達の家。帰り際に自転車置き場で見つけたもの。



これって!もしかして??
ラッキーな証拠??

嬉々として
その友達に写真を送ったら、
「えりちゃんこれって、アジサイじゃない?」

って。

そーいえばよく見ると。。
アジサイの1輪だね。。

幸運の象徴、四つ葉のクローバーじゃないんだ。。

よく四つ葉のクローバーが見つかった公園が家の近くにあったのだけれど、
もうその公園は開発によりコンクリートで潰されてしまって、クローバー探しもできなくなった。。

大量の四つ葉クローバーを見つけて
当時、友達に見せたら

「えりちゃん、そんなに幸せ集めてどうするの?」

と言われたことを思い出した。

クローバーはないけれど、今度は幸せを感じることを集める。
  

Posted by Eri Kawamura at 18:39Comments(0)あっ、私もか。

2019年09月29日

田中さん。

部屋で娘が壁の方を向きながら
「たなかさん、たなかさん」
と言っている。

変だな。田中さんという知り合いは私たちにはいないし、
田中さんという人物が出てくる本やお話は話してないし。

第一、田中さんという言葉を私は一回も彼女に話しかけたことはない。
本当に田中さんという名の知り合いは私たちにはいないのだ。

けれどもなんどもその言葉が出てくるので、
も、もしかしてそういう人が見えてその人が自分は田中であると名乗るのかしら?
そしてその人とお友達になっているのでは?
きっと爆笑問題の田中裕二のようなおじさんぽい人なのだろうか?

と様々想像を巡らせて
はたと彼女を見ると、

トナカイのぬいぐるみを抱いていた。。

「トナカイさんトナカイさん」ってって何回も呼びかけていたのね。。。
なぞが解けましたー。  

2019年09月28日

ベルリンマラソンとカイザーウィルヘルム記念教会。

9月29日(日)はベルリンマラソンの日だ。
今日、28日(土)から関連行事が始まっており、市内は交通規制も激しい。

Zoo駅近くにあるカイザーウィルヘルム記念教会は、
広島の原爆ドームのような意味で戦争の跡を残したままの教会であり、
戦争の悲惨さを訴えている。

元々の教会は礼拝室が破壊されているため、
そのすぐ隣に戦後、新しい礼拝堂ができている。
8角形のまるで平らなコンンパクトケースのような形だ。
ちなみに同じく近くに建てられている新しい鐘の塔はすっとした6角柱であり、
まるでリップケースのようだとも。

戦後に作られた礼拝堂はコバルトブルーのステンドグラスが印象的な、癒される空間である。
またここのキリスト像はとても現代的なものだ。
伝統に基づく、具象的なキリスト像ではなく、かなり抽象的な造形である。

建設当時の、新生ドイツを願ってのことか。
あるいは冷戦時代からの希望をここに込めたのであろうか。

時代は変わり、戦後復興を終え、そしてドイツ統一を得た今の時代に
この礼拝堂の役割は、シンプルな形で平和な世界を訴えるということのようである。

プロテスタントのルター派の礼拝ではあるが、宗教や信念という重厚感のあるところではなく、
何かシンプルで軽やか、フットワークが軽いようなところがある。

日本関連では東北大震災の時にはすぐにチャリティーコンサートをしたりといったことがあった。

今日はベルリンマラソンの関連行事としてなんと教会が礼拝を。

午後16時「スピードアップ!」と題されて、マラソンへの祈りが行われる。

結局、神頼みかねー。

おそらく大スポンサーのBMWとしてはマラソンという大行事が
無事に行われるものを願いたいところだとは思うが、
ランニングを人生の一部と捉えてこの機会に集まった世界からの人々と
マラソンをスタートできることを喜び合いましょう。ということのようである。

なんか軽いノリで行われる礼拝。
この軽さも平和の証拠だとは思う。  

2019年09月27日

ドイツの外科 2

外科に行った時の話の続き。

朝一番に指の治療に外科に行くと、
さあ見せてごらんと言わんばかりに
無口でマッチョのお医者は
看護師さんに包帯を取らせた。

前の日の切開とその後の処理の時に、
包帯のはしを傷口に入れてぐるぐると包帯を巻いた。

出血が多かったからであろうか、施術の方法だと思うが、
あまりよく説明がなくなすがままれるまま包帯の端は傷口にもろにくっついている。

予想通りに一番最後の包帯は傷口にくっついていてなかなか取れない。
そして、傷口の中にそれが入っているのは看護士さんもわかっているので躊躇していたら、
先生が一言。

「Mit Mut!」

「勇気を持って!」

つまり引っ張るのに躊躇するなということ。。
看護士さんへの指示だった。。

患者である私の存在はなんだか置いてきぼりを食らったようだったけれど、
職業的にこなす医者を見て、こういう人が名医だというのだろうと思った。

彼の看板には事故、スポーツ事故専門外科と書いてある。
私の傷なんてチョチョイのチョイだっただろう。

切開したあと全然縫わなかったのは不思議であったが、1週間後にはその切開したところから
ペラっと一皮向けて元のとはまだいかなかったものの、健康な指がお目見えした。

一皮分しか切開しなかったのだ。
職人的な気質がここでもうかがえる。

私は手塚治の漫画、ブラックジャックを思い出した。  

Posted by Eri Kawamura at 21:59Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年09月26日

ドイツの外科 1

ここ最近のこと。

指先に膿疱があり、圧迫して痛くなっていたので、皮膚科に本日緊急で観て欲しいと
お願いの電話をしたところ、様子を聞いていると外科に行った方がいいと言われて、
近くの外科を紹介してもらった。

その外科に電話をしてみると、今日はもう予約がいっぱいで訪問を受け付けられず、
明日の朝9時であれば良いということだった。
ドイツでは予約がないと受け付けてもらえないことが多々あるので、
まずは電話して確認した方がいい。
この診療所も例にもれず予約がないと難しいと言われたが、
一日待つとまたえらく膨らんで痛さも増すことが
わかっていたので、“tierische Schmerzen“ なんでこんな表現があるか分からないけれど、
直訳すると動物的な痛さ。理性的になれない痛さという意味から発展したのだろうか。。
「めちゃ痛いんですけれど。。」と訴えると
すぐこれるのであればいいという看護師さんの優しい声。

なーんだ。言ってみるもんだなーと思いつつ急いで病院に。

やはり切開して膿を出すことになり、まずは麻酔の注射を。
正確には分からないけれど、100ccぐらいはあるんじゃないかというぶっとい注射を注入。
腫れで指が膨れている以上にさらに太くなってしまった指。

先生はなかなか無口で、みると筋肉がえらくついている。マッチョな先生。
外科という情報だけでこの病院に来たが、一般外科に加え、事故外科、スポーツ外科が専門の領域であるらしい。マッチョさをおそらく患者にも期待する感じがするお医者ではあった。

「少し痛いけれど我慢してね。」なーんて優しい言葉はなく、
「いくよー」ブスッと注射。

こんな指先に膿疱があるだけというのは彼にとってはチョチョイのチョイだろう。
が、私と一緒に行った子供としたら、切開するというので、超ドキドキではあった。

手術台みたいなところに乗せられて、先生は白衣に白いエプロンをし始めて切開が始まる。

麻酔っていうのはすごい。近代医学で最高の発見だったのではないかと思う。
こちらも第三者として傍観して、簡単な自分の手術を見ている。子供もじっと見。

傷口は縫われず、開いたままそのまま様子を見るらしい。保脱脂綿に包帯をぐるぐるにされて
帰っても良いことに。無口な先生なので、こちらから質問をする以外には答えない。
「ところで薬は?」
「ないよー。大丈夫だよ。」
「あっそう」
抗生物質が処方されるかと思ったら、
切るには切るの西洋医学だが、あとはあくまで自然治癒ね。。。

次の日にもこの診療所に来ることになり、今日は終了。
さらに患者のマッチョ度が試されることに。  

2019年09月25日

私の母(過去生)

娘は夜型で、私は20ー21時ごろになるともう営業終了。
営業終了後にも彼女は活発的。

それでベットに連れて行って、彼女のお話を聞くのだが、
あまり文脈もなく結構しみることを言う。今回は。

「ひとりで泣かなくていいよ。
二人で泣くから。」

どんな状況でこれを言ってたのか思い出せないのだけれど、
ちょうど泣き真似したのときかな?


時に、彼女は私の母親だった気がするときがある。
夜、ウトウトとするような頃合いに昔の話(過去生)のことを
彼女に聞く。といっても誘導質問のような形で。

「〇〇ちゃんはママのお母さんだったことがあるの?」

「うん、あるよ。」

「へー。それでその時はママは女の子だったのかな?それとも男の子だったのかな?」

「男の子」
と即答。

日常の質問で
こちらは今日のお昼が幼稚園で出たのがなんであるかわかっている上で
「今日はパスタ食べたかな〜?」
と聞くと、
「食べてない。」
とも時々答える娘なので、会話の信憑性はあっているかなぞであるが、

もしかして私の母だったのかもしれないと思うと、
彼女の世話好き、自分よりも私を洗おうとするとか、
クリームをベタベタつけようとするとか、
自分がオムツ取れてないのに、私にちゃんとおしっこできたの!と言ってきたりする
にも理由がつく。

私が彼女の息子だった時には、どうも苦労をかけたらしい。
  
タグ :過去生

2019年09月24日

秋の風物詩。イモ堀。

昨日の日曜日は娘と一緒に
ポツダム広場で行われていたBioフェスティバルへ。

本当は午前中、フィルハーモニーの子供用音楽会がありそこに参加していたので、
何やらポツダム広場でフェスティバルが行われているということを
その場で知る。

美味しそうな野菜のお絵かきをしたら、
遺伝子操作していないゆでトウモロコシがもらえたり
BIOりんごしぼりたてコーナーがあったり。
あるいは藁で遊んだり、土を運ぶ一輪車みたいのでジャガイモを運ぶレースをしたり
半日を楽しんだ私たち。




でも一番はこれでしょう。
お宝探し!

ぶっちゃけ
ジャガイモ掘り。




マーケットの一角に特設の砂場?土場?が置かれ、
鍬で掘られた穴にジャガイモが埋められ、そして
そのジャガイモが隠されて、「さあ、いけ!」
子供達がばあっとと勢いよく飛び出して行く。

隠すところが公開されているので、どこに隠してあるか大体見当がつく。
「それ!」
というおじさんの声の元、
ジャガイモは1個か2個だよとと言われているものの、
子供達の勢いは止まらない。

袋いっぱいにジャガイモを詰める。

私の娘はぁ。。

目星をつけていたジャガイモが土からうっすら出ている。

「そこにあるよ!」
と言うのは親の方。

娘はゆるりとそれらを取り出して、
そしてまた土の中に丁寧に埋め始めた!
芽が出るのを待つというのだろうか。。

そんなことをしているうちに、周りの大きな子供たちの勢いがすごい。
争奪合戦の戦場。。

「そんなぁ。今から育てているばやいじゃないヨォ。」

「次のいも!」
母。

そんなにゆっくりやっていて、あぁあぁ。もうイモはもう掘られ尽くしたらしい。
あちらこちらで悲壮の声が響く。

ところが。

私の娘はじっとひとつのところに止まっていたので、

「もしかして、もしかして、あなたの足の下は?」

ジャジャーン。
2つも埋まってました。
そんな人生もあるね。。。

ジャガイモ堀り→ただの土遊びになってどのくらい経つかなー。
土いじりに一生懸命になってしまったー。ハマるよね。

日本ではジャガイモ堀りではなくさつまいも堀りの季節になりますかな。
  

2019年09月23日

プレゼント「〇〇ノート」

友達から誕生日プレゼントに
「欲望ノート」を先日いただきましたー。




「願望」ではなく「欲望」というのがポイント。

オリジナルの絵が表紙に。
定着液とか付いてないので、色が取れるかもということでしたが、
そんなのお構いなしで使ってということだった。

彼女の子供Mちゃんからも「欲望ノート」をもらう。
2冊の「欲望ノート」

すでに中身はいたずら書きがしてあるが、
その子がめちゃ怒りながら母親を急かして、
誕生日の日にえりちゃんちに是が非でも行くと言ってくれたそうな。

夕方、突然の訪問にびっくり。
日曜日だったのでどこかに行っていてもおかしくなかったが、
外に出てなくてよかった。

さて、何を書きますかな。

ありがとうね。K子。Mちゃん。
嬉しかったです。
  

2019年09月22日

7万人!

2013年からほっておいたブログですが、改めて見ると
購読数が7万人にもなていたし、
ブログランキングで1万の登録がある中、1300位ぐらいに
なっていたので、まだまだいけるなと思うこととすごく勇気付けられました。
購読していただいた皆様、ありがとうございます!!

以前書いていた時はすごく素直な自分を見つけられたし、
こんな風に思っているという自分を再発見できました。
もう少し素直な自分を発見したいなと思ってまた書き始めます。

また、2016年にはEU規範に基づくベルリンの公認ガイドの講習と検定を受けました。
冷や汗をかきながら勉強し、実際試験官といく最終コースでは読みが的中し、
自分が得意のコースが当たって見事合格!face18しました。(またこの話はいずれ)

この時に話の作り方と仕方というものを教わったのですが、
観光地といううところで、他にも観光客がいるというわさわさ感がある中
大勢の人(団体、20人や30人)に、しかもこの人たちは違う文化圏から来ている
というわきまえを持って話すのには、起承転結というより、
そして知っていることを全部話すというより、
心に残るように話す。ということでした。

つまり、あー楽しかった。と思わせるような話し方。

時に歴史を正直に話さなくてもいい。
(まあ残っている歴史が正直に描かれているかにもよりますが。)
歴史を頭に入れた上で、観客(団体)用に演出をしなさい。
ということでした。

なるほど。垂れ流しの歴史ではなく、自分なりに完結する話(小話)かー。
エンタメとしてのガイド。
私にはすぐにディズニーランドで仮装する”ガイド”のお兄さんやお姉さんの姿が浮かんだ。

このブログもディズニーランド風にはならないとは思いますが、
2013年以前よりも様々に学んで違くなりましたよということを
お伝えしたかったです。

フェイスブックの“いいね!”を押してくださる皆様。
いつもありがとうございます。
この機能は以前には使っていませんでしたが、
ちょうど20人ぐらいの団体様が目の前にいて、一人で喋ってないという感覚になります。
勇気づけられます。ありがとうございます。face01  

2019年09月21日

つぶやきを拾う作家。「どいつもこいつも?! あっつ、私もかー。」

「どいつもこいつも?! あっつ、私もかー。」

という私のつぶやきを拾ってくれた恩師より久しぶりに連絡が来ました。
原さんありがとう!

http://takafumihara.jp/


原高史さんは住民にインタビューして
人々の印象的な言葉を拾い、絵を描き、窓に貼るなどしてその家の屋号のような
ものを作る、アーティストです。

ベルリンではAuguststrというかつてユダヤ人街であった通りの
住居を全て取材し、その通りの窓を埋め、かつての
ユダヤ的な習慣や、風習、生活感を掘り起こすような作品を造った。

そうそう。原さんがベルリンから帰国する時、引越しの手伝いをすることになり、
そしていらなくなったベットや電化製品をいただくことになり、
トラックで一緒に回っていた。

それで、私の家でそれらの荷物を降ろすことになって荷台から私が降りようとしたら
そこにあるはずの踏み台がなく、足を踏み外して、
そのままズデーンと後頭部からアスファルトに落ちた私。

引越しのお手伝いはすぐさま中断して緊急病院行きとなり、
通りがかりのタクシーを呼ぼうとしたが、血みどろの私をみて
無視された時に叫んだ言葉がこれ、

「どいつもこいつも! 」

(ちょっと考えて間があって)

「あっつ、私もかー。」


堪忍袋の緒も切れてたし、自分の頭皮も切れてたというもの。
もう何年前の話でしょうか。。
心配の方もいる?と思うのでその後の話を書くと。。

近くの大学病院へ。

様々に緊急を要した患者さんがいらっしゃるので、
待ち時間はどうでもいいから、
私なんかよりもなんか指が取れちゃっている人先に治してくださいという
気持ちになる。

自分が軽い方だなと思わずにはいられない事態へと導かれ、

私の番が来たら、多分研修医さんだと思う随分若い人が、
チョチョイと見ただけで、なんだか文房具みたいなのを取り出して
ガクンガクンと頭部に何かやって
「平日によく使っている外科へ行ってみてもらって」と言われて帰された。

自分では何をされたかわからないので、付き添いに来てくれた人(誰だったか覚えていない)
に見てもらうと、タッカー2発ぐらで傷口が留められているとのこと。
(医療用のものだったと思うが、ホチキスのようなもの)

かなり乱暴だなぁ。と思いつつ。
こちらはけが人。言われるがままにするしかない。

また、後日いった外科で「CTスキャンをした方がいい」と言われ、
外部施設に予約しなければならず、電話したところ、
「今月は一杯なので4週間後かな。」と言われた。

4週間後って。。すぐに見てくれないんだ。
脳だからそんなに待てないよね。。。
本当はすぐにみてもらいたいのに。。
多分、そんなに待って障害があるってわかったらもうアウトだよね。。
逆にすぐする必要ないのであれば、問題ないのでは。。

いろんな思いが巡ったが、
実際レントゲンもえらく長く待ってCTスキャンをしてもらった結果、
(またその結果を待つこと2週間ぐらいはあったものの。。)
異常はなく、

その言葉「どいつもこいつも!(少し間をあけて) あっつ、私もかー。」
が残って、後で何回も原さんと奥さんと大笑いするネタになった。

そうそう。今でも私の中の“つぶやき“にもなっている。
あざっす!


  

2019年09月20日

みんなに!

娘(3歳)と夕食をしようと、私がキッチンに立って料理をし始めた。
彼女は椅子に自分で座って、「みんなにお茶をあげて」と言ったのだけれど。。

いるのは私と彼女のみ?のはず。
執拗に、「ママ、お茶をあげてよ。みんなに。いるじゃん。」というので

「はいはい。何名様がいるかな?」
と聞くと、

「みんな。」
と言う。

「えっと、みんなって何名様?」

普段はみんなが待っているから早く幼稚園に行こうよとか。
みんなと一緒に遊んで。などとみんな、みんなを使う私。

3歳の子はいち、に、さん、そして10まで数えられるけれど。
ひとり、ふたりなどという人を数えられるほど高度な技はまだない。

「だけれど、いちかにかさんぐらい言えるでしょう。」
と促しても、「みんな!いるじゃん!」と言って。
引かない。

とにかく彼女のコップともう一つコップを出して、
「お茶入れるからね。何人かいたら回し飲みしてもらって。」
と告げる。

お茶を一通り自分の分だけ飲むと、

「お茶じゃなくて!カルピス!」と言って
また、「みんなに配ってという。」

なんか私には見えない子供達が見えるのかしら?
このころの子供には見えるものがたくさんあるっていうから。。

カルピスを2つのコップに入れて、はいどうぞ。

ごくごく、自分のコップを飲み干して。
そしてまた別のコップのカルピスをぐびぐび飲み始めた。

「お友達にあげるってことじゃないの?」

私に見えないものが見えたのか、
あるいはカルピスをいっぱい飲みたかったのか
なぞ。

  

Posted by Eri Kawamura at 03:57Comments(0)みえないもの娘のハテナ?

2019年09月18日

ブログタイトルを変更します。「どいつも。こいつも!? あっ、私もか!」

皆さま、2013年まで書きましたブログ
「ぼのぼのベルリン日和。」
ご愛読いただきましてありがとうございました。

ブランクがありましたが、またブログを再開しようかなと思い立ち
こちらに書かせていただこうと思います。

新しくブログを書き始めるにあたり、タイトルを変更いたしました。
以前、e しずおかさんでドイツでの有名人?!についてコラムを書かせていただいたのですが、
この時のタイトルにさらに言葉を付け加えた形にしました。

コラム
https://doikoi.eshizuoka.jp/

「どいつもこいつも!?」とは、ドイツにいて驚くことばかりという意味ですが、
「あ、私も驚かれている」ということにも気づきます。
ですので、最後に「あっ、私もか!」という自分気づきを入れました。

外だけ見ているだけではなく、内に気づくということも大事ですよね。

そんな日常をブログにしてみたいと思いました。

ブログを書かなくなてから2019年までいろんなことがありました。
一番の出来事は娘(現在3歳)ができたことでしょう。face05
また、驚きのことにシングルマザーでやってます。
どうなっていくのでしょうか。。。。あるいはどう乗り越えられるか。。。

そんなことをブログにも書きたいと思います。
(ブログ内のデザインも改訂しながら行いたいと思います。
最初は見苦しいところお許しください。face17
どうぞしばしお付き合いください。よろしくお願いします。