日曜日は、ホストマザーがいつも教会にいくというので
連れて行ってもらう事に。。ミサに参加。
ドイツでは教会はありますが、第一、毎日曜日のミサになんか
いっている人を知らないし、もし、知っていてもその人と近しい関係の方でないと
頼めないので、そんなことはしていなかった私。
例えば、ケルンの大聖堂や、ベルリンの大聖堂なんかの
教会建築をみにとかいう程度でした。
イタリアにいってもそう。
教会建築をちょっくら見にという程度でした。
日曜日に3回ミサが行われるという教会の
昼の回へいくことになりました。
3回もミサがあるということで、かなり大きな教会だと判断した私。
大聖堂みたいなところに連れて行ってもらえるのだとばっかり思っていました。
バスで少々ゆられていったところは、
ホールで、体育館のようなところでもあり、
私のイメージ的にはよく、冠婚葬祭で使われるようなホール。
いうなれば、冠婚より葬祭の式典につかわれそうな感じがしましたけれどもぉ。
うちのホストマザーはブラックで、
いった会場はそれはそれは人が多く、多分600人ぐらいいたと思います。
全員ブラックでした。一人をのぞいて。。
私たちは少々遅れて行ったので、
最初のお祈り(うたってました!コーラスあり&合唱制)
が終わるまで会場の外で待つようにいわれたのですが、
それでも、会場外にテレビがあって、中の様子が分かるようになっています。
まるで、東京ドームのような感じ。
折角現地にきているのに、テレビの方が壇上に立っている人の表情がよく分かって
テレビに頼ってしまうようなぁ。
そう、テレビ生中継もしてもらって遠くからでも観ることができます。
最初の歌が終わって、私たちも中の席に着く事が許されました。
たぶん最初にある歌は導入部分で、
歌う事が宗教的儀式として必要だったと思います。
歌う事で生の自分を出して行く
日常から非日常の世界への移行の間あるいは準備として必要だったと。
普段は周りを気にしているけれども、
この時ばかりは、周りを気にしなくなる。うまく歌うと思うと
そうなるでしょう。我が振りみず。それから神との対話がはじまります。
すでにトランスっぽくなっている人がいました。
ここで、牧師さんが本日の章はと聖書の一節のページをさして
聖書を読み始めました。みんなも聖書をもっていて、目でそれを追って行きます。
その後牧師さんが、今読んだ聖書の解釈と、現代に置ける意味を説教という形でしていきます。
ちょっと、どの章かわからなかったのですが、
モーセの話の項目でした。モーセはエジプトの民を率いた。
民を率いる事について、牧師さんが話します。
民を導く事ができたモーセの性格について考えたり
現代の世代に通じるものとはなにかを説いたり。
とにかく、今回単語で多かった言葉は
フェイスフル、信頼ということでした。
信頼がなかったら、そうです。へんなおじさんにはついていきません。
信頼をどう構築するか、そこまでこの牧師さんが説いていたか
ちょっと私の理解力ではわかりませんでしたけれども、
たぶん言っていたと思います。
彼女(牧師さんは女性)の強い言葉に、共感の声があちこちから聞こえます。
彼女が強く力説するごとに、そうだ、そうだという声がします。
それぞれの人の細かい人生模様までは、こまごまと把握していない彼女が、
聖書を解説し、それを現代的意味に訳していく際に、なにか人々の心にひっかかるものをつくっていき、それをはきださせているようです。
最後にはまた歌の時間がやってきます。
おそらく、白人にくらべて黒人の方の方がなぜかわからないのですが、
感情の起伏が激しいかもしれません。もしかしたらそれは人間、内部では同じレベルかもしれませんが、感情の起伏を表に出す率が黒人の方が高い。それは他人へ影響を及ぼす率が高い事ともなっていると思います。また、自分の中で消化できないものを常に持っているかもしれません。それを週に一回の礼拝で吐き出す。
実に合理的な一週間のつくりだと思いました。無駄なものを吐き出させて、エネルギーをもらいにいく感じです。
静かではなく、躍動的に精神が洗われるのを見ましたし、体験もしました。
ホストマザーは、その後なんだか今日はしゃべり上戸になっていました。
月曜からラッシュアワーです。
そんなこともなんともなくなってきました。