2007年04月30日

地下鉄8番のホームにて。

Auf dem Bahnsteig der Linie U8

話のつづきがありましたよ。

地下鉄U8番で電車がホームに入ってくるたびにスターウォーズらしき
チャーンチャーンチャララーラ
と、オーケストラの曲がながれて

私が思わず「テツロウ!」と呼びたかったところを
「タクロウ!」と叫んで吉田の方を呼んじゃった話。

あれはねぇ。やっぱり美術作品だったのよ。

同居人の一人の彼女。スザンネが、イスタンブール生まれの作家の話をしてくれて、
そういえば、地下鉄8番でという話になった。

あっそう!
作品だったのぉ。

どうりで、突然とできて、忽然と消えてしまったと思っていたところだったのよ。

作家は、イスタンブール生まれの女性のアーティスト、Ayse Erkmenさん
電車が入って来た時に流れてくる音楽は
テレビドラマからのオープニング曲みたいなものを、
イスタンブールで商業用のものを見つけて、この創作に手を加えたのだとか。

ドラマが始まる予感とその緊張感を表している。

電車が飛び入ることで、話が始まるような感覚に。
電車っていうものは現実だから、現実にもねぇ。
そこら中にドラマがあることを予感させるような音響効果作品に
ということだったという。

彼女は時々こんな粋な事を演出するらしい。
もちろん、今回は展示の枠だったのだが、(案内もなかったので誰も気づいてなかった。。)

作家というものが名前を大事にする傾向にあるのに、(まあ当たり前といえば当たり前なのだけれど)彼女はまったく自分の名前を出すということにこだわりがなく、それだから、なんの構えもなく、ただ電車を待ちぼうけしている、フツーの人々にすっとはいってくるもの(こういうのはまた形式張った”作品”とも呼ばない方がいいんじゃないかしら)となったんじゃないかしら。

生活しているこの世は
すべては装置なのよ。

そしたらねぇ。いつか鉄郎とメーテルちゃんに会いたい。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0) ベルリンアートシーン

2007年04月29日

インドのプリティ探してます。

最近、どうもラジオとかで聞く曲だなぁ。と思っていたもの。
プリティーウーマンのインド語番。ヒンディー語か。

バックのミュージックもインド風になってて。
オー・プリティー・ウーマンて英語で言う所があって
だから、ああ、プリティーのコピ−ねって分かるのだけど。

なんか、すごい明るいのよ。びっくりするぐらい。

で、それって、N.Y.を舞台とする映画だったみたい。
今日、テレビで放映されていたからそれをみたのだけど。

踊りあり、涙あり、恋あり、怒りありの。
すごいの。とにかく、元気。
踊っちゃってんだから。なんかあるっていうと。

話は、N.Y.でインドレストランを開く家の娘と
ある青年のラブストーリ(だと思う。なんていったて最後は見逃したからハッピーエンドかどうかわかりません)
その娘さんとある青年をとりもつ仲介者(青年の友達でもあり娘の友達でもある)がなんともすんばらしい。

彼らは、本物プリティが階級社会のことを軸に話が進んでいたけれども、
このインド版では、宗教の階級制度や、移民として、とか伝統と現代とか
という軸があったけれども、それを喜怒哀楽ダンスで笑い飛ばしていた。

グローバルの現象の一つだよね。
こういうオー・プリティ・ウーマン(ヒンディー語版)がなにを歌われているのかわからずに
心地いいという理由だけで耳にはいってくるというのも。

とにかく、この曲の詳細と、その仲介者役で主に歌っていた人の素性が知りたい!  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)こいつも。

2007年04月28日

し、しるびあぁ。

ごほ、ごほ。

私の部屋はいつも午後日当りがよく、
帰ってくると夕方、夜でも太陽のにおいがするんだけどぉ。
今日はちがったぁ。

シルビアがぁ。(隣人)が友達と
草を吸っているごようすぅ。

壁がちょう薄いので
壁を越えて満遍なくこちらの部屋にも回っている。

ごほ、ごほ。ごほ。ごほ。

これでねぇ。労働力どうのこうの言われてもぉ。
賃金あげろぉ。言われてもぉ。
どうせ、吸っておしまいみたいなことだ。

本日の宿はここしかありません。  

Posted by Eri Kawamura at 00:01Comments(2)どいつも。

2007年04月28日

Eri Kawamura Newsー

ベルリン在住の宮崎申太郎くんと
コラボすることになりました。

サウンドアート研究家。
自らもコンサートに出演するなど
身を以てサウンドアートに没頭しているアクティブな彼。

彼のの立ち上げたウェブサイトに月一でベルリンを中心に
日本のアートの現在を紹介させていただきます。

申太郎さんの訳にて念願の英語での紹介もしています。
日本語の訳は私の担当。

今展示中の原高史さんについて記事を書きました。

いろいろとコネクションも広がってきました。
よろしくおつきあいください。
http://la-condition-japonaise.com/jap/  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2) ベルリンアートシーン

2007年04月26日

また、偶然(必然?)

朝でかけて、近くの地下鉄のホームに降りていったらぁ。

見覚えの顔がぁ。

あー。なんであんたここにいるの?
と聞いてみました。

ミヒャエル!

相手はよく分かっていないご様子。

フランクフルトの近くマインツに住んでいるはずだ。

彼とは、あのねぇ。5年前かな、フランクフルトの見本市であってねぇ。
私は、メッセでプレゼンしているから、もちろんだれでも声かけていいのだけど、
彼は、私になんで声をかけてきたかっていうと、
私の鼻が鼻ぺちゃだったから。というの。

あっそう。

あー。鼻ぺちゃえり。
一緒にイタリアにいったぁ。

そう、それで、ある日突然電話かかってきて、
お前え、美術史やっているんだったらフィレンツェにこい!
っていうことになって、今彼女とフィレンツェにいるからあさってこい!
ということになって、そこまで言うんだったらと思ったけど
(あとで考えたらあまり言われてないと思いますが)
夜行にのっていったのでした。

彼はドイツに住むイギリス人。

とうとうとしゃべるの(ドイツ語で)
キリスト教美術なんか彼の前に出しちゃったら
とうとうとしゃべってくれる。その絵の美学的なところと、
歴史的な背景、描かれているモチーフについて。いかにその当時のキリスト教擁護者がすごかったのか。

だからフィレンツェの時も教会、教会、そのまた教会をまわって、まわって、まわって。
説明、聞いて、聞いて、聞いて。それで3日間、私は、レオナルドキャンピングプラッツのテントに泊めさせられたのだ。(安いからという理由で。)彼らはちゃっかり車で来ていたからそこで寝ていた。

たぶんねぇ。彼女は美術の人じゃなかったから、聞かせていても感動度が足りなくて聞かせ足りなかったんじゃないかなぁ。私のドイツ語をミヒャエルはまったくといっていいほど聞き取れない。割とドイツ人にはつーじるんだけどぉ。と思いつつ。だからあまり会話の交換できず、コミュニケーションにならないのよ。ただ私は聞き役。まあ、それでもキリスト教美術に詳しいという訳ではないし、キリストの話をすべて知っているという訳でもない。だから説明甲斐がある人と思われていたかもしれない。どうしてこのシーンで、人々が悲しがっているとか、どうしてここに百合の花が咲いているのか、あれは誰なのか。

ミヒャエルはフィレンツェの時と同じ格好をしていた。
青いTシャツにブルーの短パン。

あんたぁ。前みたいに鼻ぺちゃじゃないねぇ。
昔は鼻の穴が上に向いていたから声かけたんだけどぉ。

あのねぇ。今あんた腰掛けていて
私今立っているの。見下げられているからそうは見えないわよ。

今の子供達は、テレビからの影響ばかりうけていて想像力が足りん!
とお怒りのご様子だったけど、

ちょっとぉ。一女子にいう言葉にも想像力がなくて大丈夫なの?
とも思う私。

そーいえば
フィレンツェの一年後、
今、南フランス。これから彼女(以前の人とは違うらしい)と車で一ヶ月かけて
パリまでくるから一ヶ月後パリにこい!
ということだったけれども。

途中留守電に、小さな事で彼女とけんかして
彼女自分の車で帰っちゃったから、今チャリでパリに向かっている、いつつくかわからない
という連絡をいただいて。

だめだこりゃ。
と思った事も思い出される。

世間には知り合いしかいないのかねとも思うね。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)こいつも。

2007年04月25日

雨の虫

夕方家に帰ったら
オラフ君がぁ。

のそのそ近寄って来て、
なんか一日中家でだらだらしてました!っていう雰囲気なんだけど

えり、時間ある?

ってきいてきたの。

なんなのー。。

と聞くと。

買ってプランターンに植えておいた
Regenwurm(レーゲンヴルム)がどうも自分の無精で水をあげずにいたところ枯れてしまったようだから
それを公園に獲りにいきたいということ。

へー。
春になったからねぇ。なんか植えてるんだぁ。
どういう植物なの?。どんな花が咲くの?
と聞くと。

だからレーゲンヲルムだという。

何回聞いても、その単語しか帰ってこないから
埒があかないから、辞書で調べたらぁ。

「ミミズ」

とのっていた。

へ!
あんた、ミミズ獲ってくるつもりなの?

そう、だからね。あのぉ。一人で公園の土掘っていると怪しまれるから
ちょっと二人でいかない?

とのご提案であった。

私は、ただついていくことだけを強調して、ミミズには触らない事を契約にいれていっしょにいくことに。

バケツ一杯の水と、餌?という水とマスタードを合わせた代物と、
捕獲用ビンとキッチン用木べら(掘る道具)をもって近くの公園にいく。

レーゲンヴルムとは、直訳すれば雨虫である。
そう、その名も通り、雨になると出てくる虫である。

だから、捕獲作戦には、最初にえさ(マスタードと水のまざったもの)を撒いてその後に、
仮想雨をつくるのだ。→バケツにて
バケツをひっくり返したような豪雨を演出。

それで適度に待ちます。

とうぅ。

でてきたでてきたニョキチョキとぉ。

Tausendfuss(タウザントフース)ちいっちゃなムカデが。ぞろぞろとぉ。
ドイツ語ではタウザント千足の足もってるのよ。
日本語では百足か。

オラフ君?

ミミズなんかはちーとも出てきませんけれどもぉ。

あ、あったよ。

そこ、そこ。出て来たぁ。

貧弱なミミズ、直系5ミリほど、4センチにもみたない。
がでてきちゃった。

なんか小さいなぁと文句をいいつつ
オラフ君がようやくゲット。

それから、また無理な注文がでてきちゃった。

もう一匹ないとぉ。

なんで?

つがいをつくんないと、増えない。

もう、そんなの言う前に、選ぶ土地が悪かったんじゃないのぉ?
なんか、古木の破片かなんかが多い地帯だったじゃん。

豊かで、柔らかい土のところに、ミミズはいるよ。

ミミズはどうして捕獲するかというと
プランターに入れ、そこにある土を
肥大なものにするためということであった。

ミミズは、土を食べて浄化作用をするからねぇ。

にしても、浄化作用にアクティブなミミズとそうでないミミズがいるらしい。

しかし、ドイツ語は直球ですな。
本当に雨を降らせたら出て来たのだもの。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)人間じゃないもの

2007年04月24日

「バカだなァ」

これまた天野祐吉さんの「バカだなァ」を読む。
こう書いていて最後の小さいカタカナ「ァ」がいい具合になっているのがわかる。
さすが、編集者であり、広告批評を創刊されただけある。
とてもキャッチぃ。

思わず手に取ってしまった。

広告の批判をする前には、
まずは主体のCMや広告が人々の目にさらされているという望ましい前提状態あると思う。

それには、批評されるという(望んでいないかもしれないけれども)広告やCMが
すでにキャッチぃであることになるのだけど

それでその批判本も声を通すためにはキャッチぃの方が断然いいのだ。
なんとなく流されているCMや広告が「商品を売りたい!」という売り込みのキャッチぃさに比べて
批評本は、その批評内容を広く伝えるためにキャッチぃさを身につけているのである。

で、なんで批評のキャッチぃさがすごいかというと
彼らが書いた広告批評の批評をも体当たりで受け取ろうとしているところである。

「飲む前に飲む!」
みたいな。

あ、「飲む前に飲む!」の内容を指している意味は直接関係ありませんが、
なんかその態度に対する意識が似ている点と語調の勢いの点で。

お酒を一杯のむぞーと思って飲む薬でしょ。
だから一杯のむぞーという覚悟があってそれで
その飲む前にこののむぞーの覚悟から薬を飲むような行為に移っている。
先手必勝みたいな。

ちょっと、表現が違くなってきかhったかな。

天野さんのコラムを数をこなして読むと
彼の性格もわかってくる。

自分の子どもに対しては放任主義と明確に書いているのだけれど、
若者文化についてもホーニン主義だと思った。

今の若者は。。
なんといいながら眉間にしわを寄せている同年代を横目に
深夜番組を堪能し、ドラクエに打ち込み、難しい漢字はカタカナにしていってしまっている。

そんな彼でも若者に厳しい一節があった。
学園祭の講演依頼で一人の若者が天野さんに電話をかけて
講演依頼の際に、
「何を話せばいいですか?」という質問に、学生は。
「なんでもいいのでうけどォ、何を話してもらえますかア?」
と反対に聞かれて、普段原稿依頼を丁寧にしている編集者天野さんは、キレている。

編集者であるならば、そういう依頼の仕方では、その場でクビになってしまうと。
「人に何かを書いたりしゃべったりしてもらおうと思うときには、「いまその人に何を言わせたら面白いか」ということを、たとえチャチでも、自分なりに考えてからでなければ、頼むことなどできないハズだ」と。

つづけて、

「学生だからしょうがないよ。

というのではなく、大学生だからアタマを使ってほしいと、
たとえナマイキでもナマニエでも、
自分のモンダイイシキをこちらにぶつけてほしい、」と

そういえば、
この本の第一節を飾るタイトル
「言葉の重さ」というコラムの中に、ご自分が就職面接を受けた時の模様が書かれている。

「なぜ出版社にはいりたいのか」という面接の編集部長に聞かれて
「編集の仕事がしたいのです」とおずおずと答えた天野さんに対しその編集部長は突っ込んで
「なぜ?なぜ編集の仕事がしたい?」と聞くが
たじろぎ、言いよどんでいる若かりし天野さんがいる。
また、さらに突っ込まれる。
「もし編集者になったら、君は、どんな本を作りたい?誰に、どんなテーマで、原稿を書いてもらいたいと思っているのかな」
「そ、それは。。」
またまた若かりし天野はたじろぐ。

「つまりね、自分のなかに、言いたいことを持っているかどうか。それが、すべてに優先する編集者の条件だ。言いたいことを持っていない人間は、この世界にはいってくる資格はない、と私は思っている」

なにも言えず、口惜しくて唇をかんだぼくをじっとみていた編集者は、やがてにっこり笑って立ち上がった。
「ま、君さえよかったら、あしたからでも手伝いにきなさい。いまはわからなくても、しばらくここで働いていたら、自分が何を言いたいかが、きっと見えてくると思うよ」

それから二十数年が経ったという。

その編集部長の言った「編集者として言いたいこと」。
とは、天野さんにとってさきほどの学園祭の依頼してきた学生に言った言葉となっていったのではないか。

著書「バカだなァ」のあとがきには、
「「バカだなァ」というのはもちろん、ぼくのことです。
あなたに言っているわけじゃない。でも正直に言うと、半分はあなたに向かって言っているのです。」

私、そーとーひっかかってます。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)人間について。

2007年04月23日

一つぅ。抜けてる。さて、どこでしょう。

4月22日の巻き、ぽっくり、
抜けておりましたぁ。
とてもカンドーした。小沢征爾さんについて。
その理由を書きました。

よかったら下にスクロールしてみてください。

おちょこちょい。ぼのぼのより。  

Posted by Eri Kawamura at 00:01Comments(0)どいつも。

2007年04月23日

先達の末裔なのでぇ。

オラフ君がたばこをやめたといって、
口がさびしくて、さびしくてしょうがないときた。

それでどーしてかわかんないのだけど、
すっぱいものが食べたくなるって。

なんかぁ。どっかちがう状況で聞いた事があるようなぁ。

それで、ザウワーグルケン、酢漬けのきゅうりとか
ミニとうもろこしの酢漬け、あるいはガリ、ショウガの酢漬けとかを無性に食べている。

ショウガを買ってきたといって
彼が帰ってくるなり台所に走っている。

自家製ガリを作るようだ。

そしたら、なんだかショウガでも同じような形のもので
タイのもの。味見してみると、煮ても焼いても食べれないようなにがーい味だ。

えり違うよ!
と注意をもらう。

ちょっとぉ。あんたぁ。自分が買ってきて、なんで人の性にするのよ。
よく見なさいよぉ。パッケージ。

とにかく、漬けるか。

相手はなんのこっちゃない。
気にせず続行している。

日本のものだと、すぐに責任がこっちに飛んでくる。

そういえば、土曜日。
クロイツベルク区のコッティこと、コトブサトアーの近くにある場所へ。

友達の彼が働いているカフェが何十周年記念ということで
自らパーティをするというので呼ばれていった。

行くと挨拶もしないうちに、はいこれ。
渡されるものがぁ。

ビデオカメラ。
キャノン。

コンサートが夜10時まであるから
テキトーに撮ってみてぇ。

日本製だから、私なのね。撮るのも。

その心を聞くと、
他に渡したくないからという。
とりあえず信用は置かれている。

彼とその彼女ははこの8月に結婚式を挙げる事になっているのだ。
おそらく、ものすごーく深読みして、私にビデオ係がまわってくるだろう。
試されているかなぁ。今日は、私に課せられた特訓だったぁ?

最近は、大企業が成し遂げたようなことが
小振りでまわってきています。現地人に。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(5)人間について。

2007年04月22日

地球のぉ。

本日は日曜日。
一級品を見に。

美術館へではなく、
フィルハーモニーに向かった。

指揮者、小沢征爾さん!
すごかった。

世界の小沢じゃなくて、あれは、地球の小沢だね。

うぅ〜ん。うなるしかない。

テレビでは拝見していたけれども
実際に仕事場を見させてもらったのは始めて。

一番手頃な値段の席だったが、
フィルハーモニーの手頃な席というのは、
オーケストラのバックに位置するというものだ。

ということは、小沢さんと対面しているというものだ。
いい席をもらったぁ!

何回もいうようだけれど、
フィルハーモニーの設計はちょっと他のコンサート会場と
違っていて、オーケストラを囲む感じである。
ということは、指揮者がホールの真ん中に立つ。

そうなると、彼を中心にしてものすごい集中が集まる。
彼は曲を奏でさせるべく、オーケストラに対峙しているのであるけれど、
なんかねぇ。ちがうの。彼のためにオーケストラが演奏し、彼のために観客がいるような感じ。

なぜそれが成り立つかというと、彼は支配的でもなく、威圧的でもない。
ただただ、情熱をオーケストラに吹き込んでいるだけだ。

汗なんかもとびちるとびちる。
そういうのが、遠目からも見える。

燕尾服という最上級の正式な格好をしているのだけれど、
汗をふきふきやっているのである。クールにすましてなんかやっていない。

曲と曲との間には、白いハンカチを取り出し、汗をふきふき、
そして極めつけには、鼻をチーンとやっている。

ものすごい真剣なの。

あれは、一種のパフォーミングアートにも通じるところがある。

とにかく、オーケストラに熱気を入れる。
オーケストラもプロだから、いつもプロ級のものを常に出している事は
確かだろうけれど、なんかそれ以上のものが出されているような。。

すべてが一体感となって、熱いものが引き出されている。

それは、ベートーベンや、ブラームスに対する熱いものや、
クラシックミュージックというものに対する熱いものをも越えていた。

私は、クラシック音楽ファンではないし、
耳に関しては、素人なのでなんとも音楽に対しては、
コメントは控えたい所なのだけれども

もうねぇ。小沢さんが振った手の次の音がいつも聞きたくなるのだ。

指揮者の手をみていると、その手といくらか、微妙に
ほんとうにいくらか遅れて楽器が奏でられるのがわかる。

指揮者は、さすが、次の音を示唆しているだけあって、
彼の手の振りと耳に届く音とは一致しないのである。
(あってますでしょうか、専門家でないので自信がない)
まるで、音声が遅れている衛星中継みたいに。

それだから、今小沢が指図した音はなんなのか、すぐに知りたくなる。
もちろん、それは耳にとどくのだけれど、もうすでに目は次の指示を見てしまっている。
そして、すぐに次の彼の指示した音がなんなのか気になり出すのである。

とこれはほんの一瞬に起こる事。

この繰り返しなのである。

だから、過去の音はまったく頭に残っていない。
これがベートーベンの曲であろうが、ブラームスの曲であろうが、
名曲の余韻にひたりながら曲を鑑賞する事は許されない感じだ。
ただただ、小沢の次の音が気になるだけだ。

パワーを注がれ、オーケストラはその能力以上の力を発揮する、
それが指揮者にも返って来て、またそのさらなるパワーがオーケストラにも、客さんにも注がれる。
このホールを舞台に、彼を中心として2重、3重の立体的円弧が成り立つのだ。

特に、私なんかは、小沢さんと対峙するような席だったから、
一番後ろで指揮されていたようなものだ。

彼の熱気は伝わり、こちらは動かずとも自ずと熱くなってくるの。
あ、私の前に鎮座している青年が、パンフレットでぱたぱた扇ぎ出した。

彼も熱くなっているのね。

わかるわかるぅ。

こんな調子でコンサートが終わるから、
次の小沢さんの指揮曲も聞いてみたくなるのだ。
常に未来に楽しみが蒔かれている。

彼が音楽に情熱を入れるためならどんな体勢でもする。
人の目なんて気にしていない。(ずいぶんの数に凝視されているのですけれど。)

あるときは、道化のように滑稽に、
あるときは、一国を支配する者のように厳しく。しかし慈愛を持って。

彼が舞台上で大きくなったり小さくなったりする。
自由自在の変化である。

最近、一神教のことで頭がいっぱいになっていたから
なんだか、コンサートの様子は、
曼荼羅ではなく、一神教の典型図を見ているようだった。

彼が中心だった。

それにしても、西洋の指揮者と違う所は、
まったく、中心としてすましていないということ。
そういうのは、最後に明らか。

演奏が終わるとブラボーの声に拍手喝采が沸き起こった。
そうすると彼はつかつかと、オーケストラの中に割り入って
それぞれのパートの長と握手をかわす。

もうそれが、「よくやりましたね。ご苦労様」
という表現ではなく、
「ようやった!ようやった!よかったよかった!」
と肩を叩き合うという表現なのである。

手も足もはちきれんばかりに拍手があるなか。
数回のカーテンコールがあり、オーケストラも引き上げ、お客さんもあきらめよろしく
出口に向かいはじめたけれど、まだまだ、拍手はとまらない。

そのまったく止まらない賞賛の拍手に応じて小沢さんが
ようやく出て来た。最後の挨拶にである。

5月24、25、26日と小沢さんの指揮のコンサートがフィルハーモニーであるけれども
残念ながらすでにすべて売り切れ。そのコンサートの模様は5月25日ラジオにて放送される。

25.05.2007 20:05
Berliner Philharmoniker, Seiji Ozawa
89,6 MHz, Kabel 97,5 MHz
Deutschlandradio Kultur

地球の小沢でございました。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(4)人間について。

2007年04月19日

お話

本日は、いいお話を聞きました。

Beleidigungについて
ベライディグング。

屈辱について。

あー。なんと私はいろいろなところで
人に対して屈辱を与えているか。

数え上げれば切りがない。。。

それは、どうやってとりかえしていいの分からなく、
途方にくれています。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(8)人間について。

2007年04月18日

超常現象か。自然現象か。

ごそごそ。夜中に音が天井の方からするから、
なんかの現象かと思って、耳をすます。

不規則な音が同じ所から聞こえてくる。

天井裏からだ。

前に、ここの住人に玄関のドアをあけたら
すぐ入ってドアをすぐに締めるようにと
言われて、

どうしてか聞いたら、
いや、ラッテがね。
という答え。

ラッテってぇ。

ネズミ。しかも大きい種類のぉ。

もう他に移りたくなったでしょう。
と、引越第一日目に言われたっけ。

彼らね。きっと。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)人間じゃないもの

2007年04月17日

時間をかける民族

オラフ君、寝起き機嫌悪!
最悪じゃない?
www.apelius.de

ぜんぜん、まともな答えが帰ってこない。
朝。

朝といっても彼の朝。

私は午前中出かけて帰ってくる時だから
だから、午後2時とか。

あーのー。

私は子守り中。
あ、籠りだった。

ちょっとした感想文を書くため。

それでも、じっとしている時とアクションをすることを
織り交ぜている。

家で迷惑のかからないアクションだから、
どーも頭を使うとすごくおなかも空いていることも手伝って
大抵は台所で。

簡単な料理を作る。
ここで、私はアジア的だなぁと思うのは、
10分ぐらいでぱぱーと炒め料理を作ってしまう点。

ごそこそ台所でやっていたら
オラフ君がバスローブを巻いたまま。

あ、ブイヨンを作らなければと
思いついたようにやってきた。

肉と野菜。をぶちこんで水を沸騰させる。

これ、あんたの人参だよねぇ。

つかってもいいかの前に
ナイフが人参に入っている。

あー。
別に、いいんですけれど。。

あとで、ありつけるに決まってるから。

4時間煮込むだな。
今、午後6時だから
午後10時に出来上がるという計算だ。
ブイヨンだけだから、それからなんかするの?
聞いたけれども、まともな答えが返ってこない。

まだ、彼にとっては、朝の領域らしい。

とにかく、ドイツ人は時間をかける事が好きだ。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)どいつも。

2007年04月16日

ゆ、誘拐先はぁ。

私の住み始めた所
ローゼンターラープラッツ付近はなんとも不思議だ。

割とトレンドと高級感の発信地と言われているミッテ区なんだけど、
なんかの交差しているところに位置している。

なんかねぇ。磁気があるねぇ。なんかを引きつけてしまう。
いいものも、悪いものもぉ。

特に、屋台とはいかないまでも、そしてレストランとはいかないまでの
2、3ユーロから食べられる小さな軽食屋さんが多いのが特徴か。

食は人を引きつけるからねぇ。

もう本当に、頭を使った日。
こんなの、慣れてないから、ぼーとしてしまって
夕方、ふらふらと自分の通りを歩く事にした。

途中、銀色の大きな車が横付けされているなー。
と思っていると、運転手がにんまりこちらを向いている。

すぐには認識できなかったけど、あ、あのおやじさんだ。

何をしているのですか、という質問に、
ちょっとふらふらと、と答える。

ふらふらついでに、いかがですかと
助手席をすすめられる。

えー。いいのですか、お帰りのご様子かと思いましたが。

ちょっと、寄る所がありますので、そこまでいっしょにいかがでしょうか。
もちろん、元の場所に戻ってきます。

そうですか、それでは、お言葉に甘えて。

私は簡単な人質である。

誘拐されて連れて行かれたところは、残念ながらまだカシミールではなかった。

そう、ブティックのおやじさん。
銀色のワゴン車のようなフォルクスワーゲンを操縦中である。

同僚のところに寄って、
それから、私をあるところに連れて行きたいというので、
それに従う。

さあ、ここは何でしょう。

ベルリンの壁の以前のベルリンの壁です。

ニコライ地区にあるこの壁は、ベルリンが一番小さい村単位だったころのものだ。
この壁は、市街と市内を分ける城壁だった。

おお、よくご存知ですな。
ドイツ人に見せても分からない人が多いのですよ。

外国人として、語学学校の課外研修で習った事は言わないでおいた。

いつ壁がつくられましいたかな。

。。。。

この問いには答えられなくて、
試験には合格しなかったようだ。

抜き打ちはつらいのよぉ。

私は旅行者として扱われて、
ベルリンの夜景を見せてくれた。

車ですいすいと、ベルリンの市内を走る。
こんなこと滅多にないから、違う視点でみられて、心地いい風も入ってきて
気持ちいい。

さて、誘拐された場所に戻ってきました。
お礼を述べると、またお茶に寄るようにと言われた。
カルダモンの香りの紅茶を思い出す。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)人間について。

2007年04月15日

観葉植物を入手、借りてるの。

部屋をあがってくる途中の階段に
どっしりとした鉢植えの観葉植物があるのがみえたので、
誰の持ち物かと聞いてみると、
聞いてみた本人が自分のだという。

よかったら、この植物を私の部屋に引き入れてもいいかと
聞くと、快諾を得れたので、ずるずると引きずって入れこむ。

私の部屋は、Hinterhofといって通りに面していない奥まった
ところに部屋があるのだけど、午後とーてもよく日が当る。日焼けできるぐらいに。

午後、ここの部屋にいるのが好きだ。

さて、部屋のジャングル化計画が始まりました。
早く、育て、育てぇ。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)あっ、私もかぁ。

2007年04月14日

Web サイト 公開!!

皆様にお知らせがございます。

ベルリンはようやく春を迎え、嬉々としております!!

去年より願い願いまして、念願のHPを完成することができました!
今までの活動をまとめることでき、ご笑覧いただければ幸いです。
http://www.erikawamura.com

ここに関係者の皆様にご案内を申し上げ、内容にいたっては様々な皆様の
ご理解とご協力がありましたこと感謝いたしております。

なお、新しいWeb上のNews欄は
eしずおかブログのサイトを使わせていただきました。
この場をおかりしてお礼を申し上げます。
よい展覧会をできるだけ足でかせいで見てコメントして参りたいと思います。

ウェブサイトにつきましては、
ベアハントで活躍中の山田庸子さんの
協力がなければこぎつけませんことでした。
こちらも、この場をかりましてお礼申し上げます。
http://www.bearhunt.de/

ウェブ制作につきましてはいろいろ迷う事が多く、
自分は、まだまだぁ。だなあと思っております。

その一つに、ぼのぼの日和、ブログを公式HPからリンクさせるかどうかが
あったのですが、今回は、自分のウェブからのリンクを外させていただきました。

といいますのは、生活においても、公私ないような状態ですので、
このようにしてはちょいと変かもしれませんが、ブログ上だけでも
私の部分を大切にしたいという考えがわき上がってきました。


皆さんには、舞台裏のどたばたを見せる事になりそうですが、
まあ、そんな楽しみもあってもいいのではと思っております。

また、さまざまな試しやそれこそ迷いをさらけ出してしまうかもしれません。
その時は、皆さんのお叱り、お力添え、忠告のほど、何卒よろしくお願いいたす所存です。

春になりました。
新学期の季節です。
ぼのぼのベルリン日和。
家にいながら世界旅行篇。あわせまして
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

4月吉日
ぼのぼの
かわむらえり  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(4) ベルリンアートシーン

2007年04月13日

オラフ、テレビの中の

テレビをゲットしたので、
テレビと椅子、30cm強の距離感の中で、
リモコンを、プレーステーションでプレイ並みに
がちゃがちゃ操作している私。

中毒にならないように気をつけたい。

ところで、ドイツのコメディは面白い。
コントということではなく、
一人が観客の前で、いろいろ工夫しながら笑わせていくというものが
多いようだ。

その中で、オラフ・シューベルトは
異才を放っていた。

http://www.olaf-schubert.de/
http://de.wikipedia.org/wiki/Olaf_Schubert

おもしろいねぇ。

彼のトレードマークとなるのは
菱形模様の袖無しのセーターと破けたジーンズ。

登場してきた時なんかは、ちょっと浮浪者が彷徨っているような
感じや、ちょっと頭わるいんじゃなーい。という印象をうけるけれども、

なんか彼が話し始めると
こうねぇ。螺旋式にどんどんはいっていくような。
誘導されて引き込まれて
観客はその穴から抜けられなくなっているのに気づく。

東ドイツで生まれた。
今はドレスデンに住み、
Betroffenheitslyriker
と自分のことをコメディアンと呼ばすそう名乗っている。

名詞Betroffenheit(ベトロッフェンハイト)は、
動詞betreffen(ベトロッフェン)からきていて
betreffenはもともと動詞treffen(会う、遭遇する)からきているだろう。

それで動詞betreffenは、当ってしまう。みたいな意味になって、

名詞Betroffenheitとは、
どうしてか分からないけれど、自分が該当者になってしまったことに
驚き困惑している状態。

ええぇ。自分!

が、だった、の。

みたいな。

うろたえる叙情詩人

とにかく、彼はなんかに驚愕してんの。
驚く事が日常的にもいっぱいで、そりゃー忙しいだろう。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)どいつも。

2007年04月12日

クヌーデルしょっぱ系

ごはんですよー。

夕方に、オラフ君がなんだかごそこそ食卓でしているので、
何回かそこをのぞいてみて、私が家にいることをアピールしていた。

それでこの声がかかったのである。

昨日、女の子友達と開発していた代物を
実験しているようだ。

クヌーデルしょっぱ系。

ひき肉とタマネギのトマト味いため
クヌーデル。

上にははらはらとタマネギのかりかり揚げをかける。
そしてその上から、じゅうじゅうぱちぱちしている熱々の溶かしたバターが。

もしなんだったら、これを付けて食してみて。

お、オラフ君、手にしているのは
偉大なるトマトケチャップじゃないですか。

えー。折角ここまでつくったのに?
トマトケチャップ味に占拠されちゃうよ。

折角つくったものを、わざわざ自ら台無しにすることはない。

ケチャップなしに満足。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)どいつも。

2007年04月11日

うーん。うなりました。

最近ね、はまっていて申し訳ないのだけれど
これもまた河合隼雄さんの著書から
「神話と日本人の心」

普段は人を分析しているだろうが、
ここでは神話を分析することによって、日本人の心のあり方全体を分析しようと試みている。

以下、感銘をうけた最後の章のメッセージ。
要約します。

その中で、日本は中空均衡構造であるという論を展開し、
近代国家は、西洋の中心統合形のモデルによって発展してきたと言っていいだろうという。

日本の中空均衡構造は、他からいろいろなことを取り入れ、
様々なものからバランスをとりつつ、中心はないという構造である。

これは追いつけ追い越せでやっているうちはよかったが、
自ら経済大国というトップの座を走ることになったとき、どーしていいかわからなくなった。

これから、グローバリゼーションの波の中、
中央統合構造の代表である西欧諸国の人々と対等につきあってゆくためにどうしたらよいか。

中空均衡と中心統合とそれはまったくお互いに相容れない構造であるが、
破壊を免れたいのであればどうにか共存をはかっていかなければならない。

破壊を免れたいのでれば
というのは、前世紀で偉大なるテーマであった、
資本主義と社会主義の中で、社会主義が崩壊したことを考えれば
これはあきらかであると。

社会主義は資本主義の一切を否定したのにくらべ、
資本主義は実は相当な社会主義的な要素を取り入れていたのである。

だから、資本主義はその内容がいい、悪いいかんせず、その崩壊をまぬがれた。

こういった事例をみると明らかなように、
破壊を免れるためには、一方の構造に従って生きる生き方をベースにするのであろうが、
他を含めて全体状況をみていかなければならない。

全体をみつつ、適切な生き方をする。
それにはある時、選択の必要性を迫るものだが、
どうして、その選択にしたのか、説明をするできるものでなければ
ならないであろうし、それは選択に伴う責任の自覚である。

しかし、一方を選ぶにしても他方の配慮を忘れてはならない。
それは、自分が選択しなかった他方の可能性に対する敬意である。

こういうことはとても困難なことであるが、
しっかりとした判断力、表現力、責任感を身につけた「個人」として自分を確立していけば
できることではないか。

ただし、これは表面的に取り入れられた「コジンシュギ」ではなく
社会性も責任感も身につけている「個人主義」ではなくてはならない。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)人間について。

2007年04月10日

クヌーデル甘系

オラフがこりにこって、
クヌーデルを作ってくれる。

今日は友達をよんでいたから
張り切ってつくっている。

中身はプラムのジャムいり。

酵母入りのパン生地で
最後は蒸す。

まるであんまんだ。

バターの溶かしたのを
たっぷりかけて、ケシの実をかけて

あまいお菓子だけれど、
これが主食にもなる。

よく学食で主食としても出るのだ。

私にとってはデザートだけで腹一杯にさせるわっけー。
と思ってしまったけど、呼ばれるものとしては、もう一個どうぞ。
の声に従うだけだ。

オラフはこれで、
インビスを開く!という計画を
訪ねて来た友達としている。

ひき肉のトマトソース煮を
中にいれたらどうだろう。オリーブ入りとか

それからモッツアレラなんかをさぁ。
いれちゃってもいいよね。イタリア風に。

おお、しょっぱ系を開発中ですな。
なんだか私は肉まんの味を思い出した。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)どいつも。