2007年08月07日

Ise Miyake

イッセイ・ミヤケではなく、
イセ・ミヤケ。

照屋さんの置き土産。
ベルリン不在の間に、友達がくるので、
会ってくれということ。で

イセに会う事に。。

なに人かも分からず、どんなアーティストかも分からず、
どのくらいの付き合いの人なのかも、詳細は知らされないまま。。

何回か、携帯メールを取り交わすうち、
彼がマレーシア人であること、心優しい人であることが
分かって来た。

長髪ですらっとしている浅黒系かなー。
という想像もたってきた。

ベルリン初めてで、わからないから、分かりやすい所で会ってという
なんとも言えない悲痛メールで、彼のホテル近くの地下鉄で彼をピックアップ。

長髪ではなかったし、なんでも吸い込んでしまうような大柄な
浅黒のやさしいアジア人だった。

美術館へつれていこうと思ったけど、
つかれちゃったっていうので、(すでに午前中)
彼の提案でお茶でも。ということに。

オーストラリアでのレジデンスに参加した経過を聞く。

カタログを2部だしてきて、
プレゼンが始まる。

これがしたかったのね。もしかして。

90日の滞在をシドニーで許された彼。
この90日に作品をつくってくれということだったが。。
彼がつくったものは、このカタログ。。

90日間のあいだのビジュアル日記帳。

招待されたとはいえ、だれも知らないシドニーに、ぽつんと落とされた
この巨漢イセ。

知らない町、知らない文化、知らない人々の間で、
孤独感を癒すために、ぷらぷらと町にでかけていくのであるがぁ。

ある日、メモが自分の部屋に。

イセ!あんたどこにいるのー?
事務所にも顔ださないでー。
挨拶にきなさーい。

というもの。

このレジデンスオーガナイザーのメモがきっかけとなって
イセは、だんだんとレジデンスの中でアクティブに友達をつくったりしていく。。

最後には、パーティ名
Lucy!! I'm not so isolated.
ラッキー!!。そんなに孤立してないよ。自分。というビックパーティを開催。

ビール会社の何百リットルビール無料提供もあったとか。
多くの人がつめかけることに。

イセがなぜ、オーストリアに呼ばれるようになったいきさつもすごい。
彼はマレーシアの美術界の枠を越えるような挑戦をやってのけた。

それだからこそ、異端児として扱われ、
やった後はいいが、なぜ彼がそこまでしてやらなければならなかったのか
理解されるのに、ずいぶん時間がかかったし、その間は辛かったという。

その心理的な物事をドローイングにして
発表した時、はじめて彼の行為が理解されたという。

まあ、この具体的は話はあとで、
彼のマスターピースだというので、これから、どこかで見る機会があるでしょう。

彼のマッスな外見とはまったく違う、繊細な彼でした。
にしても、起爆剤もってるねー。

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