朝でかけて、近くの地下鉄のホームに降りていったらぁ。
見覚えの顔がぁ。
あー。なんであんたここにいるの?
と聞いてみました。
ミヒャエル!
相手はよく分かっていないご様子。
フランクフルトの近くマインツに住んでいるはずだ。
彼とは、あのねぇ。5年前かな、フランクフルトの見本市であってねぇ。
私は、メッセでプレゼンしているから、もちろんだれでも声かけていいのだけど、
彼は、私になんで声をかけてきたかっていうと、
私の鼻が鼻ぺちゃだったから。というの。
あっそう。
あー。鼻ぺちゃえり。
一緒にイタリアにいったぁ。
そう、それで、ある日突然電話かかってきて、
お前え、美術史やっているんだったらフィレンツェにこい!
っていうことになって、今彼女とフィレンツェにいるからあさってこい!
ということになって、そこまで言うんだったらと思ったけど
(あとで考えたらあまり言われてないと思いますが)
夜行にのっていったのでした。
彼はドイツに住むイギリス人。
とうとうとしゃべるの(ドイツ語で)
キリスト教美術なんか彼の前に出しちゃったら
とうとうとしゃべってくれる。その絵の美学的なところと、
歴史的な背景、描かれているモチーフについて。いかにその当時のキリスト教擁護者がすごかったのか。
だからフィレンツェの時も教会、教会、そのまた教会をまわって、まわって、まわって。
説明、聞いて、聞いて、聞いて。それで3日間、私は、レオナルドキャンピングプラッツのテントに泊めさせられたのだ。(安いからという理由で。)彼らはちゃっかり車で来ていたからそこで寝ていた。
たぶんねぇ。彼女は美術の人じゃなかったから、聞かせていても感動度が足りなくて聞かせ足りなかったんじゃないかなぁ。私のドイツ語をミヒャエルはまったくといっていいほど聞き取れない。割とドイツ人にはつーじるんだけどぉ。と思いつつ。だからあまり会話の交換できず、コミュニケーションにならないのよ。ただ私は聞き役。まあ、それでもキリスト教美術に詳しいという訳ではないし、キリストの話をすべて知っているという訳でもない。だから説明甲斐がある人と思われていたかもしれない。どうしてこのシーンで、人々が悲しがっているとか、どうしてここに百合の花が咲いているのか、あれは誰なのか。
ミヒャエルはフィレンツェの時と同じ格好をしていた。
青いTシャツにブルーの短パン。
あんたぁ。前みたいに鼻ぺちゃじゃないねぇ。
昔は鼻の穴が上に向いていたから声かけたんだけどぉ。
あのねぇ。今あんた腰掛けていて
私今立っているの。見下げられているからそうは見えないわよ。
今の子供達は、テレビからの影響ばかりうけていて想像力が足りん!
とお怒りのご様子だったけど、
ちょっとぉ。一女子にいう言葉にも想像力がなくて大丈夫なの?
とも思う私。
そーいえば
フィレンツェの一年後、
今、南フランス。これから彼女(以前の人とは違うらしい)と車で一ヶ月かけて
パリまでくるから一ヶ月後パリにこい!
ということだったけれども。
途中留守電に、小さな事で彼女とけんかして
彼女自分の車で帰っちゃったから、今チャリでパリに向かっている、いつつくかわからない
という連絡をいただいて。
だめだこりゃ。
と思った事も思い出される。
世間には知り合いしかいないのかねとも思うね。
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