2020年04月15日

遠隔モニター 募集終了します。

3月に遠隔ヒーリングのモニターを募集していましたが、
定員にもうすぐ届きそうなので、募集を終了します。

ご協力していただいた方ありがとうございました!



  

Posted by Eri Kawamura at 05:34Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年11月08日

カフェ?

最近はもう寒くなって来ているので、
またジメジメした天気でもあるので、
砂場遊びができない。

だからお風呂場の水が砂の代わりになって、
アイスクリームを盛るスプーン大のようなものと
適当なコップで何かごっこ遊びが始まった。

「カフェ?」

と娘が聞くので、

あ、お茶屋さんごっこなのね。
とわかり、

「じゃぁ。カフェお願いしまーす。」

と待っていると、

「ティー?」
と聞くので、

「いや、カフェがあるんでしょ。だったらカフェで。
さっき、カフェって言ってたじゃん。ないのカフェ?」

と言うと、

「ヴァッサー(水)」

と言って水が出て来た。。。


決してお客の注文に応えないお茶屋なのね。。。

  

2019年10月30日

なげちゃダメだよ。こわれちゃうでしょ。

金曜日は電気工事が入り、
入り口付近のものを一旦部屋に入れなければならないことや、
金曜日の午後は小旅行を計画していたので、その準備が先決で
部屋の中がぐちゃぐちゃのままハンブルクに行って
土曜日の午後に家に帰ってきた私たち。

そのうえ、どうも暖房がつかない、暖かいお湯も出ない。。
もしかして、工事の人がやっちゃったのかな。。。

新しい配線を入れるために工事をしていたのだけれど、
壁に電気が通っていないところを目指して穴を開けたりしていたが、
もしかして。。電気の通るところに穴を開けちゃったのかな。。
やっちゃった感がある。。
まあそれは月曜日に事情を聞くことにして。。

土曜日の夜は部屋が散らかったまま、
お湯をガスで沸かして鍋をお風呂に持っていくようなことを
何往復もして子供のお湯を確保しお風呂を入れて終了。

そして日曜日は片付け!!!

と思いつつ朝ごはんを作ったり、子供の世話をしていたりして時間が過ぎていった。。
そして日曜の就寝時までにはと思っていたが、まだまだちらかっている!
さらに片付けている矢先に散らかしている人がそばにいる!!

もう私も爆発して、ベットにあるいらないものを床に投げつけた。

そうしたら、娘が、

「なげちゃダメだよ。こわれちゃうでしょ。

くまちゃんとかなげちゃダメ。こわれちゃうでしょ。わかった?」

わかりましたが、

「こんなにちらかっていて、自分だけしか片付けてないんだよ。爆発もするよ。」
というと。

落ち着いた声で
「いいよぉ。かたずけよう。一緒に。」

と娘が言って、

ぬいぐるみやおもちゃを持ち上げ始めた。

「だからねぇ。こわれちゃうでしょ。なげちゃダメよ。」
とそれぞれ持ち上げた後に、それぞれのものについて、逐一、

「だからねぇ。こわれちゃうでしょ。なげちゃダメよ。」
と言い続けて。。ベットにモノをあげてきた。

「わかりましたー。」

一緒に片付けてくれれば、私もとてもありがたく、
一人で何でもやっている気分にはならずでいいですが。。。

ある人が言った言葉を思い出した。
「子供は師匠ですね。」

その通りですね。。
  

2019年10月23日

お、おかね。。。

日本の実家周辺、沼津市では、
17時になると外で遊んでいる子供達に
家に帰るように呼びかけるように、
鐘の放送が鳴る。
(実際の鐘ではなくて放送なので、鳴るという表現が正しいかわからないが。。)

私の子供の頃からそうで、今でも続いているものだ。

娘と実家に行った時には、その習慣が身について、
その17時の鐘が鳴ると、
「あ、家に帰んなきゃと」
という言葉が返ってくるようにもなっていた。

たとえ家にいたとしても。。

ドイツに帰って来て、
そんな鐘の放送はなかったのだが、
生の鐘があった。

教会の鐘が18時に鳴る。

中庭で遊んで居た時に、この鐘が鳴ったら、
娘が、「あっ。家に帰んなきゃ。」
といった。

しめしめ。日本の習慣が馴染んだか。
と私が思っていると。

鐘が鳴る方向へと体を向け、おもむろに
「なむなむ」と
唱えた。

鐘のなるところが教会だから?
なむなむ?
とも私が思ったが、

そのあと、

「おかねちょうだい。」

と教会に向かって言っていた。。

何この、つぶやき。。

神頼みか。。
私に対するおねだりか。。
あるいは私の深層心理の表現か。。

私はすぐに金のことを言っているなと思ったが、
あとで考えたら鐘のことかもしれないなと思ったけれど。

いやいや。
おかね、って「お」がついてたしね。
やっぱりあれでしょ。
  

2019年10月19日

ハートがあるのよ。

娘が言葉を覚えるようになって、
最初の方に覚えた言葉が
「ハート」icon06

というものがある。

ハートの形を見てそれを覚えたのだが、
最近「ハート」についての言動があったのでメモを。

「ハートicon06がねあるのよ。」

「へー。どこに?」

「ここんところ。」
と言って頭の方を指す。

「へー。ハートicon06は頭にあるの」

「うん。繋がってるの。ママのは大きいの。○○のは(自分のこと)小さいの。」

「へー。ハートicon06さんが頭にくっついているの?」

「そうなの。」

「長いのは最近切っちゃったの。」

「??長いのや短いのがあるの?ハートicon06はそんなにいっぱいあるの?」

「そうだよ。あるよ。」

「それで、切っちゃったらどうなるの?」

「ハートicon06がね。あるのよぉう。」

「あっそう。。」



なんか風船みたいに浮かんでいるハートがいっぱい頭についているのを想像して、icon06icon06icon06

その中でも短いのがあったり長いのがあったりするみたい。

長いのは切るっていうから、何か長くなると不要になるのだろうか。
髪の毛でもあるまいし。

皆の頭の上にハートicon06がゆらゆら揺れているということを
想像するだけでも楽しい。



そういえば、「じぇんたいてきにぃ。。」
https://bono.eshizuoka.jp/e2020201.html
と言っていた言葉の続きも出て来たっけ。


「じぇんたいてきにぃ。。」
パカパカ。」

あるいは

「じぇんたいてきにぃ。。
ゆらゆら。」

だそうです。







  

2019年10月16日

色について。

きいろいちょうちょを追いかける話。
「きいろいのはちょうちょ」
という五味太郎さんの絵本を最初の方に読んだからか、

娘は色だと「きいろ」をいち早く覚えた。

「きいろ、きいろ。」

それ赤なんですけれど。。
赤のものも黄色という時期があった。。。

なんでもきいろと呼んだので、色の名前という認識があるのだろうか?
と思ったほどである。

色といえば、
クレパスや色鉛筆を使ってお絵描きの時に色の名前を覚えさせるより、
すでに道路に出ることが多いので、信号の色をすぐに覚えさせた。

ドイツでは青信号は、
「緑になった」という。

信号は緑色だからそれが正しいのだけれど、
日本語では緑なのに
「青くなった」という。

そのためか娘は青いクレパスを見て”緑”という。。。

「えっと、クレパスではこれは”青”だよ。
信号は緑なのだけれど青っていうよー。」

という大人の理屈はあまりまだ噛み砕けない。。

あれはなんででしょうねぇ?
緑色なのに青信号というのは?  

Posted by Eri Kawamura at 23:55Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月11日

Havelhöhe ハーベルホーフェの産院で 4 

20時ごろもう一度検査をすると
かなり子宮口が開いて来たというので、陣痛を促進するために
お風呂に入るか、それとも無痛分娩用の麻酔薬を打ち始めるかという
打診があった。

麻酔薬投与に向けては麻酔に関する注意事項を読み
それらを了承しているという書面にサインが必要で、
すでにそれにはサインしていていつでも取り出せるように携帯していた。

自然分娩を希望していたが、自分がどうなるかわからなかったので、
いざという時にもってはいたものだ。

あとで無痛分娩用の麻酔もできるということを聞き、

私はその時にお風呂に入りますということを宣言して
分娩室内にあるお風呂に案内された。

お風呂にはヴェレダの入浴剤も用意されていて、
どうぞお好きなようにという感じでずらっと並んでいた。

温まって循環も良くなったのか、かなり痛くなって来た。
陣痛の間隔も早まって来る。

トイレに行ったら破水が起こって、そのまま分娩台に直行。。
破水が契機になりものすごーく痛くなった。

この時点で到底無理だと思われたので、
「今から無痛分娩お願いします。」
と言ってみたけれど。

「もうこの状態じゃぁ。無理。普通に産むしかない。」

と一掃され、

えー。さっきはあとでも出来るって言ったのに、このままいくんですかー

致し方ない。。このままやるしかない。。

もう今までにしたことない叫びが出たりして、(ぎゃーとか)
最後の最後は痛みのその中でどう力を入れればいいかわからなかった。。

来る波ごとの痛さに耐えてるのに精一杯になってくると、
先生たちがドタバタし始めた。

出産には助産師さんの他に医師が少なくとも1人がつく。
ここでは医師の判断のもと全てが行われる。
たとえ、自然分娩を推奨する助産師さんだとはいえ医師の指示には反せない。

吸引機が装着され、(これが出産時の次に痛かった。)
さらに先生は電話をしたり慌ただしそうにしていた。
私は状況がわからず、周りがわさわさし始めたのを感じた。

助産師さんが私の手を握り、
「河村さん、こちらを向いてください。目をはっきり向けて!」

と彼女が真剣な目で私に訴えかけた。

「次の陣痛の時に子供が出てこないと、帝王切開になります。
しかしこの病院に備わっている手術室2つはふさがっています。
これ(この状況)分かりますね!次が最後ですよ!!私の目をしっかり見てください!!」

最初この助産師さんに会った時には素晴らしい端正な天使のようだと思ったが、
今は恐ろしい般若である。

彼女の目をしっかり見てものすごい痛い中さらに痛みの中に入っていくようにした。

吸引の力もあり、彼女は生まれた。

烈火のごとく泣いていた。赤い。本当に赤ちゃん。

ギリギリの人生だ。

そのあと、子供は私の胸に置かれて、「家族の時間を。」と言われ、
それから医者も助産師さん、看護師さんもサァーっと引くように出ていった。

家族の時間というか30分以上ほっとかれたかもしれない、
他の出産でこの夜は人手が足りなそうだった。

その後、担当の助産師さんが現れて、
「よくやりましたね。おめでとうございます。」
とお祝いの言葉を述べてくれた。

子供の体重や身長を最初に担当したのも彼女だった。

彼女の名前を聞かなかった。聞くのを忘れて後悔していると
後でもらった母子手帳に取り上げてくれた担当医師と担当助産師の名前が書いてあった。

あの助産師さんがいなかったら、さらに大変な出産だったと思う。
彼女無しでは乗り越えられなかっただろう。
人道的に対応していただいてとってもとっても感謝している。

あの天使と般若の顔は忘れ得ない。  

Posted by Eri Kawamura at 22:47Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月10日

ドイツ再統一30周年記念ポスター

今日トラムの駅でトラムを待っていたらこんなポスターが目に入ってきた。



否が応でも目に入ってくる。。。

左下に政府機関のポスターであることの印。。

その横には「これがそんなにドイツ的なんだ。」
というメインのコピーライト。

右上には30周年の記念だというマーク。
その横には「ドイツは一つになったよ:そして多様にも」
というサブコピーライト。

こういう広告が通っちゃうのね。
日本ではクレームの嵐になるかと。

娘はこのポスターを指で指しゲラゲラと笑っていた。
彼女は国を同じくするどころか同類の裸族なので。。

ここは何でもありですね!

  

Posted by Eri Kawamura at 20:27Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月09日

Havelhöhe ハーベルホーフェの産院で 3

陣痛が始まったかなー。と思い自分の家から遠かったので早めにタクシーで病院に向かった。
まずは自分で別棟に行き、入院手続きをしてもう一度戻ってきた時には、

一人の助産師さんがやって来て、
「私があなたの担当者です。よろしくお願いします。」
と自己紹介してくれた。

その助産師さんは以前、検査で産院にきてむくみが激しかった時に
妊婦用のマッサージをしてくれた方だった。

出産の時の担当者はこちらでは決められないので、
その日にシフトでいる助産師さんがついてくれる。
なんとも奇遇で同じ人に当たった。
この病院の信念として一人の担当が交代なく出産まで付き合う。

彼女は端正の顔立ちの方であって、優しい物言いもあり、
本当に天使のようだった。

マッサージといっても強く揉むということではなくビオのオイルで何か
両手で撫でる感じのもので、手の暖かみは感じたけれどとても物足りない感じがした。
これでいいのかね?という感じ。
おそらく血流とか何か循環が滞ることなく流すという
意味だったと思う。

しかし一番の思い出は、
マッサージの最後に巨大なタオルで全身をぎゅうぎゅうと包んでくれて、
ミイラのようにはなったが、これがとても気持ち良かった。

初産のための出産準備コースにこの産院に通った時に、
生まれて間もない子は環境の変化についていけないので、
よく泣く子はこうしてタオルでぎゅうぎゅう巻きにすると安心して眠りにつく
ということを教えてもらった。

正に赤ちゃんにするものを大人にしてくれたのだ。

へー、こんな気持ちになるんだということを体感した。
正方形の大人用の巨大タオルなんてこの産院のマッサージの他にみなかったから、
何か特別な仕様のものだろう。

顔見知りの助産師さんがついてくれるというので安心した。
前日の診察医と同じく、なんとも奇遇なことだろう。

「まだそんなに痛くないねー。空いているベットで休んでてー。
あ、それから夕食の時間だからよかったら好きなのをとってね。」

という受付の方。
ゆる~い感じでまずは進んだ。
18時ごろだった。

ドイツの夕食はKalt(カルト)といって冷たい食事だ。
つまり、パンにチーズやハムを自分でアレンジしてお皿にもって食べる。
簡単な食事。

緊張感もあって喉を通らなかったが、
一緒に来てくれた、母や妹にとっては良かったようだ。これからの長期戦に向けて。。

また別の食事係の人が、部屋に来て今後1週間のメニューの希望を聞いて来た。
今から起こるだろうものすごいことを目の前にしてその後何を食べたいか思い当たらないが、。。

お肉系、軽食系、ベジタリアン用と用意されていた3つの献立から何曜日は何と細々と選ぶ。
これらは温かい食事でお昼用のものだ。

メニューを見るとかなりバリエーションがありボリュームがありそう。
これからの入院生活、楽しみになって来た。

そう言ってるのも今のうちだった。。

続く。
  

Posted by Eri Kawamura at 20:41Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月08日

Havelhöhe ハーベルホーフェの産院で 2

Havelhöhe ハーベルホーフェの産院で1の続きです。

9月20日が出産予定日であったが、この日にも何も兆候がなくその後2日後に
いつも訪ねている産婦人科に検診に行った。これから2日間隔で検査が始まる。
次の2日後は週末だったので、出産予定の産院に予約を入れてもらっていた。

週末、土曜日にえらい遠い産院にまるでピクニックをしに行くような感覚で、
検査に行くと、先生は見知りの方だった。
私がよくいっている産婦人科で臨時職員として時々検診をしてくれている先生だった。

とても温和な顔をされていて、口調もゆっくり穏やか、優しい先生。

先生の顔を見てとてもホッとし、「順調ですよ。」という言葉でホッとする。
彼女もアントロポゾフィー、人智学に基づいた医学を修めた方である。

その先生は東洋医学を学ぶために夫婦で(その当時)
中国の成都市に留学したこともある方だった。
西洋医学界から東洋医学を学ぶということはまた当時は稀にみる存在だったらしい。
今でも珍しいことだと思う。

ちょうど子供の父親は中国の成都市出身だったので、
その時には私の診察よりも中国談義で盛り上がった。

また彼女はその当時一緒であった旦那さんとは別れ、子連れとなり、
そして子連れの男性と再婚していて、
「現在はパッチワークファミリーなのよ。」と言い、
今の旦那さんと計4人の子供と暮らしているという。

また、元旦那さんとも今は仲が良く、(昔は色々とあったそうだが。。)
家族のイベント、特にクリスマスには自分の家族、元旦那、
そして相手の元結婚相手の家族などが集い、大集合になるという。

離婚した時はそんなに大家族を持つとは思ってもみなかったそうである。

次の検診は2日後の月曜日。
これは産婦人科がやっているので、近くのところだ。

日曜日はちょうどベルリンマラソンの日。
前の日の土曜日の午後にブランデンブルク門近くに
行くとそこに優勝台が置いてあり、すべての人に解放されていた。

私は重みの体で1位のところに乗り、

はいポーズ。

「イェーイ。」

さてどうなりますかな。

続く。
  

Posted by Eri Kawamura at 21:30Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月06日

スェーデン旅行

昨日は電車で30分ぐらい離れたところにあり、
1年に1回行くか行かないかという
IKEAへ

22時まで空いているのですね。

夕方ごろ行ってもまだ開いていて
レストランで食事してもさらに買い物する時間も残っている。

買い物と夕食を終え、さて帰ろうと思い
電車に乗ったら、途中駅から日本女性とその旦那さま?である
西洋の方が乗ってきた。

娘はタカが外れたように裸足で大はしゃぎしていて、
私たちが電車で日本語で話したりしているのを聞いて、

「こんにちはー。」と日本語が聞こえてきた。

IIKEAでアジア人っぽい子供を見つけては
「こんにちは〜。」
と声をかけていた娘。
声をかけたのが、中国人だったり、日本人以外のアジア人だったりして日本語が解されず、
いずれも空振りに終わっていた。

「あらっ。日本語のこんにちは、よっ。」
と分かり合えそな方々がちょうどきてくれたにもかかわらず、
恥ずかしがってか、顔を埋めてしまって全面コンタクト拒否。

「あらら。。」

女性の方がさらに声をかけてきてくれた。

「現地にお住まいなのですね。私たちは観光でスウェーデンからきました。」

「あーら、奇遇ですね。私たちも今、IKEAから来ました。」

スウェーデンは行ったことがないが、行った気分になり、
先ほど食べて来た北欧風ミートボールが話題になった。
  

Posted by Eri Kawamura at 23:23Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月05日

Havelhöhe ハーベルホーフェの産院で 1

病院関係の話が多くなってしまうのだけれど、
娘を産んだ時のことを書いておきたいと思う。

産婦人科でエコーで妊娠がわかった時、
家族も遠いところにいるし、もしかして一人で産まなければならないかもしれない
ということを先生に伝えたら、それでは手厚い援助が受けられる
ここの産院がいいでしょうとお勧めされた病院がある。

先生はこの病院に以前勤めており、病院の雰囲気もわかっていた。
その病院はベルリン市内にあるものの随分中心部から分離れた自然の中にあった。

Havelhöhe (ハーベルホーフェ)というアントロポゾフィー人智学に基づいた病院で、
人智学については全ては知識がないものの、
簡単な説明としては人体としての自然に寄り添うというところであった。

出産には医師、産婆さんも付き添い医療行為も最終的には行われるが、
まず人間の自然の力を信じるという体制であった。

私は初産であって、どんな風に実際になるかわからなかったので、
なかなか自分の力を信じきれなかった。

病院内の先生や看護師さん、助産師さんは
全く知らない人たちではあり、職業的にそこにいるような人たちではあったが、
すでに周りがまずものすごい信念で人間である私の自然力を信じてくれていた。
そのいい意味の外圧というかそいうものを診察の度に感じた。

できるよ〜。

という感じで。

他の病院の説明会にも行ってみたけれど、
やはり話題の中心は無痛分娩や帝王切開の話であった。

無痛分娩にするかしないかは自分で決められる。
だから麻酔についてや、麻酔注入の行程について説明がされたりした。

帝王切開については医師の判断が必要だが、帝王切開は産む前に決められるのだろうか?
自然分娩でうまくいかなかったらいつの時点で帝王切開になると決められるのだろうか?
とかあるいは自分で帝王切開を望めますか?
などの質問が飛んでいた。

一部の話によれば病院側としては帝王切開の方が保険会社から出される金額が多いので
儲かるとも。自然分娩でもできそうな人でも自然の力に頼らないであまり考えもせず切ってしまう。
という私の友達の話もあった。

その子はベルリン在住の中国人、ヤンという素晴らしいグラフィックデザイナーである。
2番目の子を大学病院の帝王切開で産んで、けろっと私にいった。

「これはいい方法ね。予定日も決まっていて心や具体的な準備もできるし、
自分が努力しないで人がやってくれるんだもん。」

彼女は帝王切開を予約した人だ。
確か、第一子は自然分娩から帝王切開になってしまい、とても術後苦労したという。

彼女の発言はいつも洗煉されたグラフィックのように
そこでは葛藤とか悩みとか思案とか中間的なものはなくて、
すごく独特のセンスもある形になっている。

「あっそう。まあそんな考えもあるよね。」

まあ、いろんな考え方があるけれど、
私にとっては知らない人ではあっても、私を信じてくれる人が周りにいて、
最終的には自分が自分を信じるところまでできた環境は良かったと思う。

とはいえ、私は自然分娩ではあったが、帝王切開ギリギリのものであった。。

続く。
  

2019年10月03日

今日は。統一記念日

今日はドイツ統一記念日で祝日である。

壁崩壊30周年、ドイツ統一29周年を祝う。

ブランデンブルク門あたりでは祝賀祭が今日から5日の土曜日まで行われる。
特に今日の夕方からの祝賀コンサートがメインである。

去年は祝賀祭期間で総勢6万人の参加者だったそうである。

それと同時に各所では様々な主張を訴えるデモも発生中。

例えば最近顕著になった高い家賃に反対するようなデモ。
モットーは「正しく暴け。不正にレットカードを。」

あるいは右翼系のデモ。
モットーは「私たちはドイツのために。国民の日に向けて」
など。

結構モットー名が長いのです。

デモというと60年代、70年代を思い出すが、こちらでは未だに見たり
出くわして交通規制にあったりする。

お昼前の時点で過激的な行動による6名の逮捕者が出たとのニュースが。。
さて、最終的に何人ぐらいになりますかな。。  

Posted by Eri Kawamura at 18:20Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月02日

ドイツ連邦 スキルアップ援助

ドイツには教育への援助システムがあり、
自分が申請した講座に最大500EUR政府が負担してくれる。
(地域によっては最大1000EURの援助もあり)

教育への援助といってもこれは大人の話であって、
仕事に必要な再教育やスキルアップの講座への援助である。

Bildungsprämie というもの。
ビルドングスプレミエ

条件があり、前年の収入が2万ユーロ以下で週に平均15時間仕事をしているという場合に限り、
地域の相談センターに行き、承認してもらってそのクーポンをもらう。

私はこの制度を2016年にEU規定に即す公認ベルリンガイド講座で受け取った。

クーポンが使える講座を探して講座予約時にクーポンがあるということを申請すると
金額の半額あるいは500EUR(地域により1000EUR)まで政府が負担してくれるという仕組み。
年に1回までという上限があるが、規定以内の申請収入であれば毎年発行できるという。

https://www.bildungspraemie.info/

ドイツは教育を受けたいと思えば受けられる環境だ。

仕事を変えたいと思う人やもう少しキャリアアップしたい人のため、
しかし収入がまだ思うようにいかないという人のためこのような制度が2008年から始まったとのこと。

連邦教育・研究省の発信である。

今年もう一回この制度を利用してみようと思う。  

Posted by Eri Kawamura at 18:34Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年10月01日

全体的なぁ。

音を出すことを覚えてから娘が
何か大衆に訴えるようなジェスチャーをし始めた。
だいたい1歳ごろからのことかな。

特にそれは寝る前に起こるのだけれど。

言葉を話せなくて音だけ出していたときには、
「なんとかなんとか。。なんとかなんとかなんとか。。
なんとかなんとか。。むにゃむにゃ。。むにゃ!。」
と続く続く。

手なんかもオーバーに上から下に動く激しいジェスチャーをつけて。
「これはこれでこうだからこうでこうなんだよ!」
っていう具合で。

私は
「へーそうなの。それでぇ。へーだからなんだ。なるほどぉ。そっかー。それでそれで?」
という風に適当ーに答えていた。

最近、言葉を覚えるようになって、この演説に言葉と意味らしいもの、
そして伝えたいことのようなものがついて来た。

「あのねぇ。じぇんたい的。じぇんたい的にぃ。」

「何が全体的なの?」

「じぇんたい的なのよ。あのね。じぇんたい的」

「あっそう。それで。何が全体的なの?そしてその全体的なものがどうしたの?」

「あのね。じぇんたいがね。じぇんたいなんだよぉ。!!」
力強く”全体!”の言葉に手のジェスチャー。上から下へ。

もしかしたら宇宙的な何かを言いたいのかもしれない、と思いつつ、
演説の全体像が出てくるのを待っております。
  

2019年09月28日

ベルリンマラソンとカイザーウィルヘルム記念教会。

9月29日(日)はベルリンマラソンの日だ。
今日、28日(土)から関連行事が始まっており、市内は交通規制も激しい。

Zoo駅近くにあるカイザーウィルヘルム記念教会は、
広島の原爆ドームのような意味で戦争の跡を残したままの教会であり、
戦争の悲惨さを訴えている。

元々の教会は礼拝室が破壊されているため、
そのすぐ隣に戦後、新しい礼拝堂ができている。
8角形のまるで平らなコンンパクトケースのような形だ。
ちなみに同じく近くに建てられている新しい鐘の塔はすっとした6角柱であり、
まるでリップケースのようだとも。

戦後に作られた礼拝堂はコバルトブルーのステンドグラスが印象的な、癒される空間である。
またここのキリスト像はとても現代的なものだ。
伝統に基づく、具象的なキリスト像ではなく、かなり抽象的な造形である。

建設当時の、新生ドイツを願ってのことか。
あるいは冷戦時代からの希望をここに込めたのであろうか。

時代は変わり、戦後復興を終え、そしてドイツ統一を得た今の時代に
この礼拝堂の役割は、シンプルな形で平和な世界を訴えるということのようである。

プロテスタントのルター派の礼拝ではあるが、宗教や信念という重厚感のあるところではなく、
何かシンプルで軽やか、フットワークが軽いようなところがある。

日本関連では東北大震災の時にはすぐにチャリティーコンサートをしたりといったことがあった。

今日はベルリンマラソンの関連行事としてなんと教会が礼拝を。

午後16時「スピードアップ!」と題されて、マラソンへの祈りが行われる。

結局、神頼みかねー。

おそらく大スポンサーのBMWとしてはマラソンという大行事が
無事に行われるものを願いたいところだとは思うが、
ランニングを人生の一部と捉えてこの機会に集まった世界からの人々と
マラソンをスタートできることを喜び合いましょう。ということのようである。

なんか軽いノリで行われる礼拝。
この軽さも平和の証拠だとは思う。  

Posted by Eri Kawamura at 22:20Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年09月27日

ドイツの外科 2

外科に行った時の話の続き。

朝一番に指の治療に外科に行くと、
さあ見せてごらんと言わんばかりに
無口でマッチョのお医者は
看護師さんに包帯を取らせた。

前の日の切開とその後の処理の時に、
包帯のはしを傷口に入れてぐるぐると包帯を巻いた。

出血が多かったからであろうか、施術の方法だと思うが、
あまりよく説明がなくなすがままれるまま包帯の端は傷口にもろにくっついている。

予想通りに一番最後の包帯は傷口にくっついていてなかなか取れない。
そして、傷口の中にそれが入っているのは看護士さんもわかっているので躊躇していたら、
先生が一言。

「Mit Mut!」

「勇気を持って!」

つまり引っ張るのに躊躇するなということ。。
看護士さんへの指示だった。。

患者である私の存在はなんだか置いてきぼりを食らったようだったけれど、
職業的にこなす医者を見て、こういう人が名医だというのだろうと思った。

彼の看板には事故、スポーツ事故専門外科と書いてある。
私の傷なんてチョチョイのチョイだっただろう。

切開したあと全然縫わなかったのは不思議であったが、1週間後にはその切開したところから
ペラっと一皮向けて元のとはまだいかなかったものの、健康な指がお目見えした。

一皮分しか切開しなかったのだ。
職人的な気質がここでもうかがえる。

私は手塚治の漫画、ブラックジャックを思い出した。  

Posted by Eri Kawamura at 21:59Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年09月26日

ドイツの外科 1

ここ最近のこと。

指先に膿疱があり、圧迫して痛くなっていたので、皮膚科に本日緊急で観て欲しいと
お願いの電話をしたところ、様子を聞いていると外科に行った方がいいと言われて、
近くの外科を紹介してもらった。

その外科に電話をしてみると、今日はもう予約がいっぱいで訪問を受け付けられず、
明日の朝9時であれば良いということだった。
ドイツでは予約がないと受け付けてもらえないことが多々あるので、
まずは電話して確認した方がいい。
この診療所も例にもれず予約がないと難しいと言われたが、
一日待つとまたえらく膨らんで痛さも増すことが
わかっていたので、“tierische Schmerzen“ なんでこんな表現があるか分からないけれど、
直訳すると動物的な痛さ。理性的になれない痛さという意味から発展したのだろうか。。
「めちゃ痛いんですけれど。。」と訴えると
すぐこれるのであればいいという看護師さんの優しい声。

なーんだ。言ってみるもんだなーと思いつつ急いで病院に。

やはり切開して膿を出すことになり、まずは麻酔の注射を。
正確には分からないけれど、100ccぐらいはあるんじゃないかというぶっとい注射を注入。
腫れで指が膨れている以上にさらに太くなってしまった指。

先生はなかなか無口で、みると筋肉がえらくついている。マッチョな先生。
外科という情報だけでこの病院に来たが、一般外科に加え、事故外科、スポーツ外科が専門の領域であるらしい。マッチョさをおそらく患者にも期待する感じがするお医者ではあった。

「少し痛いけれど我慢してね。」なーんて優しい言葉はなく、
「いくよー」ブスッと注射。

こんな指先に膿疱があるだけというのは彼にとってはチョチョイのチョイだろう。
が、私と一緒に行った子供としたら、切開するというので、超ドキドキではあった。

手術台みたいなところに乗せられて、先生は白衣に白いエプロンをし始めて切開が始まる。

麻酔っていうのはすごい。近代医学で最高の発見だったのではないかと思う。
こちらも第三者として傍観して、簡単な自分の手術を見ている。子供もじっと見。

傷口は縫われず、開いたままそのまま様子を見るらしい。保脱脂綿に包帯をぐるぐるにされて
帰っても良いことに。無口な先生なので、こちらから質問をする以外には答えない。
「ところで薬は?」
「ないよー。大丈夫だよ。」
「あっそう」
抗生物質が処方されるかと思ったら、
切るには切るの西洋医学だが、あとはあくまで自然治癒ね。。。

次の日にもこの診療所に来ることになり、今日は終了。
さらに患者のマッチョ度が試されることに。  

Posted by Eri Kawamura at 22:14Comments(0)どいつも。こいつも。

2019年09月25日

私の母(過去生)

娘は夜型で、私は20ー21時ごろになるともう営業終了。
営業終了後にも彼女は活発的。

それでベットに連れて行って、彼女のお話を聞くのだが、
あまり文脈もなく結構しみることを言う。今回は。

「ひとりで泣かなくていいよ。
二人で泣くから。」

どんな状況でこれを言ってたのか思い出せないのだけれど、
ちょうど泣き真似したのときかな?


時に、彼女は私の母親だった気がするときがある。
夜、ウトウトとするような頃合いに昔の話(過去生)のことを
彼女に聞く。といっても誘導質問のような形で。

「〇〇ちゃんはママのお母さんだったことがあるの?」

「うん、あるよ。」

「へー。それでその時はママは女の子だったのかな?それとも男の子だったのかな?」

「男の子」
と即答。

日常の質問で
こちらは今日のお昼が幼稚園で出たのがなんであるかわかっている上で
「今日はパスタ食べたかな〜?」
と聞くと、
「食べてない。」
とも時々答える娘なので、会話の信憑性はあっているかなぞであるが、

もしかして私の母だったのかもしれないと思うと、
彼女の世話好き、自分よりも私を洗おうとするとか、
クリームをベタベタつけようとするとか、
自分がオムツ取れてないのに、私にちゃんとおしっこできたの!と言ってきたりする
にも理由がつく。

私が彼女の息子だった時には、どうも苦労をかけたらしい。
  
タグ :過去生

2019年09月24日

秋の風物詩。イモ堀。

昨日の日曜日は娘と一緒に
ポツダム広場で行われていたBioフェスティバルへ。

本当は午前中、フィルハーモニーの子供用音楽会がありそこに参加していたので、
何やらポツダム広場でフェスティバルが行われているということを
その場で知る。

美味しそうな野菜のお絵かきをしたら、
遺伝子操作していないゆでトウモロコシがもらえたり
BIOりんごしぼりたてコーナーがあったり。
あるいは藁で遊んだり、土を運ぶ一輪車みたいのでジャガイモを運ぶレースをしたり
半日を楽しんだ私たち。




でも一番はこれでしょう。
お宝探し!

ぶっちゃけ
ジャガイモ掘り。




マーケットの一角に特設の砂場?土場?が置かれ、
鍬で掘られた穴にジャガイモが埋められ、そして
そのジャガイモが隠されて、「さあ、いけ!」
子供達がばあっとと勢いよく飛び出して行く。

隠すところが公開されているので、どこに隠してあるか大体見当がつく。
「それ!」
というおじさんの声の元、
ジャガイモは1個か2個だよとと言われているものの、
子供達の勢いは止まらない。

袋いっぱいにジャガイモを詰める。

私の娘はぁ。。

目星をつけていたジャガイモが土からうっすら出ている。

「そこにあるよ!」
と言うのは親の方。

娘はゆるりとそれらを取り出して、
そしてまた土の中に丁寧に埋め始めた!
芽が出るのを待つというのだろうか。。

そんなことをしているうちに、周りの大きな子供たちの勢いがすごい。
争奪合戦の戦場。。

「そんなぁ。今から育てているばやいじゃないヨォ。」

「次のいも!」
母。

そんなにゆっくりやっていて、あぁあぁ。もうイモはもう掘られ尽くしたらしい。
あちらこちらで悲壮の声が響く。

ところが。

私の娘はじっとひとつのところに止まっていたので、

「もしかして、もしかして、あなたの足の下は?」

ジャジャーン。
2つも埋まってました。
そんな人生もあるね。。。

ジャガイモ堀り→ただの土遊びになってどのくらい経つかなー。
土いじりに一生懸命になってしまったー。ハマるよね。

日本ではジャガイモ堀りではなくさつまいも堀りの季節になりますかな。