2009年01月29日

研修生アネちゃん。

研修生制度というものをつかって、
日本学や、日本の文化を専攻している学生に声をかけた。

私たちのla-con の活動を手伝ってもらえるような方はいないかと。
それが去年の10月のことで、何人か応募があったので、面接して
彼らの希望と私たちの希望があう人にお願いすることにした。

大学生ということで、大体80年代生まれの方。
10歳も年が違うなんてこともあり。

ドイツ人との深い付き合い方は、
タンデムなど語学交流などでできるかもしれないけれど、
ちょっと今回は違う形で。

日本の若い世代とつきあうこともあまりない中、いきなりドイツ人の若者と接する事に。

11月から第一期としてアネさんが私のところと、
もう一人いっしょにやっている宮崎くんのところで研修を受けた。

研修といってもぉ。。
こちらも始めてのことで、あちらにも迷惑をかけたにちがいない。
行き違いも多かった。。

彼女は日本の政治、経済、社会の研究をしており、
文化面を特に知りたいということではなかったのだけれど、
ゆくゆくは日本で勉強したいと、そのために私たちのところに応募してきた。

お父様が東ドイツ時代の海軍のお医者さんだったということで、
ロストックで生まれて、その後はリューゲン島で育ったという。
ドイツではめずらしく、海を知っている人だ。
また、これもめずらしく島国文化の気質が備わっている人だと思った。

リューゲン島に私も行かせていただいたことがあり、
行った土地のことを話し合えるのはよかった。

あの島にあった新鮮な空気のことはなかなかビジュアルで伝えられないのが
残念だけれど、一番話題になったのは、空気の奇麗さだった。

海が周りにあることで、空気の流れが速いらしい。

彼女には主にアドレス関連の整理を手伝ってもらう。

あるいは、日本人といっしょにお寿司を食べにいきたいというので、
彼女ご指定の寿司インビスにでかけたり。

その時はしきりに私の感想を聞きたがった。

この日が彼女の研修が最後の日で
なんだか、ごそごそと新聞紙の包みを出して
お礼です!という。

そんなに大したことをしてないのに。。と恐縮しつつも
包みをあけると、

自分で描いたという絵。
墨で描いた北斎似の波と富士山のようなものが
かかれてある絵と彼女が好きだという歌の歌詞が書いてあった。

心がこもったものをもらったと思う。

私の絵画コレクションに入れます。



  

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2009年01月26日

KLEE展

まだ行ってない方はどうぞ。
2月8日まで。

ノイエナショナルギャラリーで
クレー展やってます。

かなりの量でびっくりしてしまいます。

また、上で開催中のジェフ・クーンズ。
プラスチックアートとの差も面白い。

特にノイエでいつも感心するのは、もちろんその作品の質もそうなのですが、
彼らの宣伝方法。

巨大で、明解。

大きければいいというものではないのですが、
にしても、中途半端な大きさではなく、躊躇なくやっているところが気持ちいい!



  

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2009年01月24日

フライブルク

南ドイツ、フライブルクへ。

初の一人出張。

飛行機をつかったら
大体片道4時間ぐらい見込めばいいし、格安飛行機券も手に入るですが、
朝、ちょう早くいかなければならないのがちょっと難。

あちらで待っていてくれたのは、
太陽エネルギーを研究する物理学者。

なにをやってるか、聞いてもさっぱりわからないのだけれど。。

ひょんなことから知り合いになり彼の仲介で
とんとんとビジネス話がすすむ。

彼自身、コアな日本フリークで
私もせっせと勉強しなければ、ついていけないことに。。

個人的にみてほしいものがあるというので、
なんだろうな〜と思ったら、
気に入ったので、日本の骨董屋で買ったという、刷り物を見せていただく事に。

日本語を読んでどんなことが描いてある&書いてあるか読み取ってほしい
というご希望を聞き。
ふむふむ。

昔の字体&行書なので、まったくわからず。

すべて推測ですすんでいく。
ちょっとは読める字もあったけれども、
それがその当時何を意味しているものだったのか分からず。

鑑定団のようなことに。。

ど、どうでしょうかねぇ。
海外で鑑定団って。またこれが日本美術を知るきっかけにもなると思うのですが。

  

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2009年01月19日

どうしてだか聞かれて。。。

50ユーロ札を
くずさなければならず。

駅構内のインビスに立ち寄る。

アラブ系のおやじさんがやってる。

すみません。50ユーロ札をくずしていただけますか。
あ、できれば、20、20の5の5に。

もしできないのなら、30セントぐらいのチョコレートぐらい買おうかなと
思っていたのだけれど。

まあそれもいやがられるかなー。
と思っていたところ、

どうしてお札をくずしたいのかと聞かれた。。

ええぇっとぉ。
上司に25ユーロ返さなければならないのです。
それで、50ユーロ札だけあったら、50ユーロ札渡さなければならないでしょー
それって2倍渡すってことになっちゃうから。。こま

と言い終わる前に。

20、20の5の5が目の前に。

キオスクの親父さんは、なにを期待していたのだろー?
な、なんでそんな質問したのだろー。

聞かれたら、なにかとっさに面白いことを言えばよかっただろうか。

焦燥感がつのる。。。






  

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2009年01月17日

フリッツ親父が食べたもの。

この前、ココ・クーンさんについて書かせていただいたけれども。
その彼女が個展をしている。個展といっても商業ギャラリーではなくて
プロジェクトルームだ。

http://www.zagreus.net/



ここは元々アーティストのオーナーさんで
でもアートでは食って行けず、南ドイツに料理の修行にでたという
ウルリッヒこと
ウリ!

俺のことをウリと呼んでくれといったり、

ロゴだよなどと、

ローギッシュのことを(当たり前)
短めに言ったりする。

割と簡略系タイプの人。

料理の腕は、そりゃーアーティススティックな元があったからでも
あったでしょうけれど、うまいもんです。

そのウリが、気の向いた週の水曜日ぐらいになってから、
土曜は俺のところで食事会だよ!
とメーリングを一斉送信する。

立派なコース料理である。

でも25人ぐらいしか座れない。。
ので予約制。。

早い者勝ちである。
あるいは、皆の都合を無視した行動であまり客が集らない事も。。

いつもそのスペースで企画されているアーティストの意向や展覧会の雰囲気に合わせて
料理が出される。なので、メーリングには予定の出し物の料理が書かれてある。

この品目に誘われて、あるいはウリのおおらかな人柄にさそわれて
ゲストはやってくるのだが、

今回の出し物は。。

というと

アルターフリッツの料理
フリッツ親父の料理

つまり。。

ベルリンが都市として発展する前の時代。プロイセン時代のオヤジ。
そう。あの当時、美食家と言われたフリードリッヒ大王が食べたであろう王宮料理を
出してくれるというのだ。

展示アーティスト、ココ・クーンはサンスーシー宮殿でも展示したことがあるという。
その彼女は王宮文化と現代の庶民文化を繋げようとするインスタレーションを展開。

キンキラに輝く黄金と思われるその壁に埋まるデコレーションは
空き缶を単に金色でスプレーがけしたものだった。

昔はここにワイン、当時高級品であったワインが横たわっていただろうけれども、
今では、缶ね。それも現代を象徴するような大量生産のもの。というアーティスト談。

フリッツ親父が食べていたものとは。。

焼きホタルジャコ(淡水魚)ケーパーのとろみイエロースープ、クリーム添え
暖かいキジのパステーテにクランベリーソース、レモン汁をかけたキノコ
野鴨の詰め物料理、鴨レバーとキャベツの酢漬けアップル&パイナップル入り、焼きじゃがいも。マロンソース
ブラン・マンジェ、オレンジソース、白洋梨添え


というような感じで。



2月21日(水)も同じようなイベントがあるようですよ。
メニューは違うようです。
予約はこちらに。030 28 09 56 40


  

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2009年01月15日

おっと、オットー

Otto Waalkes
オットー・ワァールケス

マイブームです。

ドイツのコメディアンでもある彼は
歌えて、踊れて、口が達者。ということで
70年代と80年代に彼のショーで有名になった。

それからショービジネスというより
本やCDを出したり、映画をつくったりというようなことで
しばらくは、ショーからは遠ざかっていたようだけれど、

また近年、彼のツアーが始ったりして
再燃の方。

コメディアンとしてカルト的存在。
主には替え歌で有名なのです。

下は若い時のヘンゼルとグレーテルから
http://www.youtube.com/watch?v=wV6UyDWz5nY

この前ベルリンでもショーが。
http://www.youtube.com/watch?v=_whF1ZmF2xY&feature=related

なんかすごいんですよ。ただ笑いだけをを提供するだけでなく、
お客さんに突っ込みをしたり、あるいはお客さんが手をふったり、
歌ったりして、参加していくっていうか。
最後は笑いで一体になっていくっていうか。元気をもらうっていうか。

イェーイ。
ハッツハー!
っていう彼の声がいいのかなぁ。

にしてもすごい早口です。

金曜日にまたRTLでライブのテレビ放送があるらしいので楽しみ!


  

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2009年01月06日

ベルリーナードリーム。ココの場合。



年末にある方にインタビューしました。
彼女はたぶん、私が知っている人のなかで、
アメリカンドリームならぬ、
ベルリンドリームを手に入れたかただと思います。

アーティスト。

彼女と出会ったのは,数年前
あるアートフェアで、
私はわたしのブースで働き
彼女は彼女の作品が出ているミュンヘンのギャラリーのお手伝いで
ブースにいた方。

搬入や搬出、出品者のためのパーティーなどで会い、
ベルリンに住んでいる事、彼女のアトリエがミッテにあることなどをその時聞き、
オープンスペースのようになっている、彼女のアトリエを当時訪ねたものだった。

それが数年前の話で、

去年のあたりから
彼女の名前を新聞の一面記事に見るようになった。
発見した時は、自分の目をうたがったほどだ。

あのココ・クーンかと。

名前が珍しいので、間違いなく彼女であると分かった。

コンセプチュアルアーティスト。

と呼んでほしいと前からも言っていたし、
今もそうだという。

たしかぁ。コンセプトが入っているような
作品をつくっていたとおもうのだけれど、
ここだけの話、あまりこれ!という作品は創ってなかった印象の彼女だったので、
こんなにライバルの多いアート界で大丈夫なのでしょうかと、思ったことがあった。

すごくいい!でもなく
すごく!悪いでもない。

こういうのって本人が一番困るのだろうなぁと思いつつ。

でも彼女はやってのけた。

すごい!

彼女の立体作品で名をなしたのではなかった。

ベルリンのウンターデンリンデン沿いに
昨年10月末にオープンしたのが
テンポラリークンストハレというもの。
テンポラリー、つまり期間限定のアートホール。

2年間の限定で、というのは
そこにのちに東ドイツ時代に全壊されたベルリン城が建つので、
工事が始るまでの期間、アートが展示できるような仮設ボックスが出現したのだ。

仮設といっても、かなりしっかりした建築物だ。
仮設感がない。

クンストハレをやろう!と言い出したのは
ココ・クーンであった。



そして現実化したのも彼女とその仲間の力であった。

もちろん、思い付きのみでこれは出来上がったものではなく、
このアイディアには下敷きがあった。

去年の終わり頃のニュースの一つに
パラスト・デア・レパブリックがすべて解体されることがあった。
旧東ドイツの国会議事堂である。

統一後はその役目もなくなり、建築時に内部に使用した
アスベストが問題になり、その排除のための工事がずいぶん長く行われていた。

結局、ベルリンの約半分の人々たちの思い出の場所は、簡単に言うと
やはりアスベストを除いても、使い物にならないという西側の思惑で
取り壊される事に。

脇道にそれるかもしれないけれど、
今年、壁崩壊20年だから、そのパラスト・デア・レパブリックって
役目がなくなってからも、いろいろいじくられつつ、20年もただ佇んでいたと
思うとなんかすごい。ベルリンの一等地にある現代の廃虚だった。

まただんだんに時間をかけて取り壊されていったから、
世界の歴史にはこの完全消滅日は残らないのだろうなと。
これも計算されていたのだろうか。

そのパラスト・デア・レパブリックで、
アスベストの除去作業が終わった時点、壁という壁はまったくなくなって、
鉄骨しか見えなくなっていた時、そして取り壊すことも決定された時、
FRAKTALEフラクターレという展覧会が2005年9月から11月に行われた。
これはパラスト・デア・レパブリックに入れる最後のチャンスと言われ、

アートに興味がない人でも
一度はこの廃屋に入ってみたいと思う興味本位の人、
あるいは昔の権威的建物をもう一度拝みたいと切に願っていた人などが
この展示には足を運び、観客動員数的には成功をおさめたものがあった。

その展示には、私も足を運んだ者の一人であったけれども、
もう取り壊すと決まっている建物だというのに、
その建物の一部にどどーんとホワイトキューブが出来上がっていた。

それは„36x27x10“mという巨大な空間で、
わたしなんかは実はその中で展示されていた作品よりも、
その潔癖とした四方の白い壁の方に感動をした一人でもあった。

それが、もっと情熱的に感動した人がいて、
それがココ・クーンだったのである。

彼女はこのホワイトキューブを是が非でも残したいと願って、
もうこれで入場終わり!といっているパラストが
まだその年の12月までどうにかなることを知り、

友達のアーティストに熱心に声をかけつづけ、かけつづけ、
アーティストと展示作品を集めて、
最後といわれた展覧会の次に最後の最後の展覧会を
オーガナイズしたのだ。

これは2週間の準備期間しかなく、友達のつてで
それでも36のインターナショナルで活躍している著名な作家の作品を集め
11日間にわたって展示し、主催者も驚く
のべ1万人の入場者があったというものであった。

この展示の成功にかかわらず、
この白い壁とパラスト・デア・レパブリックは
取り壊される運命に。

けれどもココはあきらめず、
ベルリンにベルリンからのアートを展示するホールを夢見て

最後の最後の展示にきた観客の中に
このホワイトキューブを残すという自分のアイディアに興味をもった投資家をみつけ
ローコストでプランを立てられる建築家をみつけ、当時そのベルリン城跡に短期間
施工されようとしていた都市開発計画とアートホールを結びつけるような設計を
提出させ、そのプランを市に通し、また市から建築許可をもらい、
実際2008年に建物を現実かしてしまった。

もちろん彼女一人の作業ではなく、
よりよいチームワークが成せる技であった。

どうしてこんな大事業を大成させることができたのですか
という質問に。

彼女いわく、

できるかわからなかったけれども、この事業のことを話す時は、
本当にわたし情熱的だったの。
もう最初っから。

の答え。

彼女のお父様は建築家だったかと記憶している。
その血が流れているのだろうか。
実際のコンセプチュアルアーティストと自称する彼女は、
こつこつ、一つ一つ作品に向き合うというタイプではなく、
人を巻き込みながら、自分のコンセプトを形にしていく人ではないか。

なんだ、今までは器が小さすぎたのかしら、
それでその力量を発揮できなかったのかなとも
思う。

ベルリンはねぇ。まだやれるのよ。

よい友達とアイディアと実行力があれば
できるまち。

他の大都市をご覧なさいよ。
この内の1つ、あるいは2つ、もしくは3つも揃っていても
出来ないことがあるわよ。

ここはできる。

行動あるのみ。

と。

とにかく、私とのインタビューに2時間つかって、
さて、帰らせていただこうかと思った時、
また新たなインタビュアーが来るという状態。

彼女、セレブっぽくなっちゃった。

でもココまでの成功物語は聞いた事ないから、
本当に聞くのを楽しませていただきました。


写真は右がその話題のクンストハレ。遠いですが巨大です。
左はそのクンストハレの裏手にだれがつくったか、まねっこの箱が。単なるコンテナ。
こういうのもよく考えてやっちゃうと思うね。ベルリンの人。。
  

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2009年01月03日

セールス始りました。

正月から体調を壊し、
うなっておりましたぁ。

ふうぅ。

久々に体をおこして
クリスマス商品特売とかが始っているデパートへ。

靴がはきにはいて気に入らなくなったので、
違うのを求めようと試し履きをしていたら、

ちょっと、あなた。
と呼び止めるお客からの声が。

私、ここで働いているんじゃないんです。
って言う言葉を用意していたら、

この靴どこでかったの?

って指しているのはわたしの履き古した靴。

ぜったいこの店にはありそうもないタイプだ。

こういう靴をさがしていたのよー。

結局、履き古しでよければ。どうぞ。
にはならなかったのだけれど。

なんだかおちおち新しいのを試している場合ではない雰囲気に。

  

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2009年01月01日

明けましておめでとうございます!




皆様。

旧年は大変お世話になりました。よい年始め、新年をお迎えくださいませ。
la-condition-japonaiseでは年明けに
展覧会「Ubiquitous Oscillations」を準備しております。
2009年1月9日General Public にて行われますオープニング、
他期日のコンサートで皆様に新年の挨拶ができましたら光栄と存じます。

http://ubiquitous-oscillations.com/

これからも引き続きのご指導よろしくおねがいいたします。
河村恵理


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ubiquitous oscillations
or fourier changed our world curated by Shintaro Miyazaki

The exhibition is from the 9th to 16th of Januar.
Opening is at 9th of January, 0700 p.m
Opening hours: Daily from 1400 to 1830

There will be also concerts:
Mo 12. Januar, 2000 Uhr: Shingo Inao (live sensor electronics), Stephane Leonard (laptop)
Mi 14. Januar, 2000 Uhr: Ken Okami (neon lights, electronics)
Fr 16. Janua, 2000 Uhr: Daisuke Ishida (laptop), Seiji Morimoto (electronics)

Guest-Artist (Presentation):
Thur 15th January, 0800 p.m: Jan-Peter E. R. Sonntag
Jan-Peter E. R. Sonntag, who won the prize of german soundart 2008 (Deutscher Klangkunst-Preis 2008) will present his works and ideas.

Furthermore Martin Donner (M.A.), Oswald Bertold + Sebastian Döring will talk about Fourier, sound, electronics and media history (in german language).

  

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