おとなしい展示で、いつもの盛り上がりにはかけ、
それだからこそ酷評もあるドクメンタ。
それにもかかわらず、やはりドイツ国内にいるものとしては
チェックしない訳にはいかない。
ベネチアのビエンナーレや
バーゼルのアートフェアと同時期にオープニングがおこなわれ
それぞれを見て来た方からは比較対象になった催し物だったと思う。
なにせ、それぞれの目的と意図、場所、観客の期待度なんていうのが
違うのだから、同じ目の高さで比べられては。。とも思うのだ。
こんなに大規模な展覧会。
オーガナイズ的にはちょー苦労していると思うよ。
だからなおざりな批判は控えます。
さて、
メイン会場のFridericianum正面玄関入り口。
ヤン・フートがディレクションしたドクメンタ9では
ブルース・ナウマンの逆さの頭がぐるぐると回っていたところだけど。
たぶん、実はここはいつもこの年のドクメンタの見せ所なのではないかと思う。
今回はJohn McCrackenの作品、ブロンズでできた、ただ、ただ直方体の彫刻。
今更オーソドックスな彫刻はないでしょう。と思いつつ
さらーと眺めて、会場の奥にはいるような、程度だったけれど、
もう一回最後にみて、はっと気づかされることがあったのよ!!
正面玄関ホールの壁は鏡で覆われていたのだけど、
それはもしかして、このただ、ただ直方体の彫刻と関係があるのかしらと思って、
監視員のお姉さんに、この鏡も彼の作品ですか?
と聞くと
はい。との答え。
やっぱり。
そうなるとものすごいことが分かってくる。
このただただ彫刻は、ブロンズでできていて
薄金色の色を放っているし、とてもよくできた彫刻で
フェティッシュにつるつるぴかぴかに磨かれていて傷ひとつない。
その完璧なまでの制作物に魅了されて、このただただ彫刻に
引きつけられて、まじまじと見入ってしまう。
それを見終わって振り返ると、鏡の中の自分と対面するのだ。
それとこのホールにいる観客達も。くっきりと。
ところが、このどーんとある“ただただ彫刻”は、その淡いブロンズ色のために
実はステンレス色をしている鏡の中ではその存在感は薄まってしまう。
あんだけ、じっくり見られていた物体だというのに。
逆にさまざまな色を身につけて、その作品に見入っていた人々はくっきり鏡に写る。
これほどまで存在感をみせつけられ、
次の瞬間には存在感の無さをみせつけられる作品だった。
そんなに最初から強力な第一印象を発揮しないのだけれど。
さすが、メイン会場ホール玄関口。
控えめながら転機のきくウィットがあるドクメンタ12を代表しているのではないか
とも思う。
他に
Agnes Martin, Naserren Mohamedi, Gerwald Rockenschaub, Kerry James Marshall, Tseng Yu-Chin, Luis Jacob, Halil Altindere, Danica Dakic, Mary Kelly,
が心に残りました。



この記事へのコメント
すみません、トラックバックを間違って貼ってしまいました。 「ドイツまで」の方の削除をお願いします。
玄関ホールの鏡のことは全然気がつきませんでした。情けないそれから。ドクメンタのことを紹介したこの記事を私のブログにもトラックバックしていただけますか。
ご希望の通りにいたしました。いかがでしょうか。トラックバックは初めての作業だったので、心配ですが。。また今後ともよろしくお願いいたします。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
それからカッセルの後、ベルリンにも行きましたよ。11年ぶりだったのですが、ブランデンブルク門の周りが、すっきりときれいになっていたのでびっくりしました。前に行った時は、旧ソ連軍の軍服やベルリンの壁の破片を売る露店が出ていて、怪しげな雰囲気でした。
それにベルリンにいらっしゃったとのこと。まだまだ工事中のところが多いですけれど。そうですか怪しげでしたか。。