2007年03月17日

解放!について

解放について語らせていただく。
聞き手は、M子ちゃん。

彼女は、昔女優を目指していたぐらいだから、
解放についてよく知っているはずだ。

最近、萎縮しちゃっている感じなのよねー。

なんか感覚がちがう!
まあ、どこで毛穴まで開くかは。TPOにもよりますね。

あんまりうまく書けない。

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Posted by Eri Kawamura at 00:00 │Comments(4)人間じゃないもの

この記事へのコメント

これじゃ、わからんじゃないか、ボノ嬢。解放ったって、あなた、いろいろあるじゃない。自己解放のこと?それとも、イラクの拉致被害者解放のこと?

そうそう、最近、飛行機で考えたのは、自己実現って言い方がどうも、しっくりこないな、気に入らん、ということです。自己解放という言い方のほうが、どうも自分の人生考えたとき、ぴったり来る気がしている。解放。生れ落ちたときから、環境をはじめ、この星にうがたれた楔のように張り付いている自分のありようを、どんどん解放していく、ということを考えるようになりました。宇宙規模の解放!なんか、すごーく、考えることは自由だな。しかし、現実は・・・。
Posted by junabi at 2007年03月18日 20:45
わからないら。まったく。

そうねぇ。自己解放のことかしら。よくわかったね。
どういう風に解放するかが私の焦点。自己を発散だけさせて、人に迷惑をかけてもいけないら。と思っています。割と解放しているようにしているようでも、見えているだけで、自分としてはしていなかったり。あるいは、表現方法がかなり複雑で、屈折して他人に伝わっていて、自分がこうだといいんだけど、っていう狙いじゃない印象を与えていたり。あ、これもくどいか。

自己実現がしっくりこないというのは、もう自己実現がされているとか?
Posted by bonobono at 2007年03月19日 23:14
自己実現なんてされてないけど、自己ってなに?って問いだしたらさ、あまり意味のない言葉のように思えてきたわけさ。意思や嗜好、感情、有情が発する場所が自己である、と言い切っていいものか。我思う、ゆえに我あり、の「我」を、どうとらえるか。近代への疑念というと、あまりに陳腐だけれども、デカルト先生への異議申し立てを、なんだか覚えたての外国語のようなつたなさであっても、やってみよう、と。ボノ嬢にへたなこというと、またぎゃふんと、言わされちまうから、このへんで逃げとこうっと。
Posted by junabi at 2007年03月20日 05:40
共通の言葉の共通意味化がなされていないから、自己と、聞かれても、なんだかしっくりきてないところがあると思います。あいまいなのよ。日本語。共通の辞書がみなの頭にはいっていないのじゃないのかと。共通の言語意味がすべての人々にインプットされるべき!という風には思っていないのだけれど、というのは、言語も生き物だから、その時の時代に合わせた使用方法もあっていいかと思います。ただ、共通の意味化がなされていると、合理的にものをすすめるのには便利。物事が早くうごきます。共通の理解力は、簡単な説明だけで、すべてに通る、しかも誤解を招きにくい。すんなりとことが運ぶ。みなさん、辞書が入っている訳でもないでしょうし、改訂もできにくいでしょうから、共通の理解を招くために、今では対話というものが必要なのではないでしょうか。説明書みたいな説明会もねぇ。どうだろう。味がなくなっちゃうねぇ。おいしいか、からいか、にがいか、あまいかぁ。
つけたしで、専門的には、自己は、自我と自己にわかれます。言葉的にはわかれるんだけど、自己っていうのは、自我を内包しているのです。自我があっての、自己。自我とは、Junabiくんが上に指摘してもらったようなように、意思や嗜好、感情、有情、そして自分の行為の主体になります。これらは自己の核となるものです。意識的におこなっていること。それで、自己っていうのは無意識の領域もふくめて、そうよぶのだそうです。無意識っていうことは、自分も知らない自分っていうこと。そんなの把握している人いるのかね。と思ってしまいますが、しかし、その無意識を含めて自己というのだそうです。(あ、専門的にはということを何度も付け加えさせてもらいますけれども。)自分の知らない自分を捕らえる事ができれば、自己確定、さらには、自己実現も自己解放も可能なのではないでしょうか。デカルト先生の「我」とはさて、自我のみだったか、あるいは無意識をも含んだ自己の意味だったかぁ。さあ、どうだったでしょう。
ぎゃふん!って言ってる?そこで。ねえ、ねえ、もしかして。
ゲズンドハイト!
Posted by bonobono at 2007年03月21日 02:12
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