最近、思ったのだけど、
天皇が戦犯にならず、生きつづけた変わりに、
殺されたものがあると。
さて、なんでしょう。
それはねぇ。
天皇の変わりに殺された人という意味ではなく。
自分たちがどこからきたかっていうことが、戦勝国によって殺された
と思うよ。
GHQは、日本国民に対する配慮として、象徴としての天皇を残した。
でも、それはそれでよかったのだろうか。
ドイツはヒットラーが自害することによって
彼一人が悪者であったという、レッテルをつけることができた
というような、見方もある。
ずいぶん、長いことヒットラーだけが悪者にされていたのだけど、
もちろん悪かったのだが、「だけ」ではなかったではないか!
ということがようやく最近になって認識されるようになった!!
よく、考えてみれば、こんな大規模の組織は彼一人の力で動くはずはない。
しかし、この「だけではなかった!」というのはほんとうに最近までタブーであったと思う。
普段は、現代美術の展示をするKunst Werkeというところで、数年前にこんな展示があった。
「ヒットラーの周りの人間」を名指しと写真付で彼らを暴くというものなのだけど。
この展示によって、悪かったのはヒットラーだけではなかったということが表出されていくのだけれども。
それは、ドイツ中を震撼させるようなセンセーションを巻き起こして、常に長蛇の列。
とにかく、ドイツは戦後、誰か一人を祭り上げる事によって
なにかを達成することができたんじゃないかと。
一方、日本はどうだろうか。
天皇が人間宣言したということは、日本は負けたという意味にとらえられがちだ。
私たちの世代はなおさら、ああ、人間宣言? 負けたってことだら?
みたいな会話。
そう、負けたのは事実なのだけれど、
ただ、負けたという事実を知らせるための人間宣言だったのか?
現人神は実は人間だった!
というビックニュースは、神の存在をも消したのではないか。
象徴の昭和天皇という人物は生きながらえたが、
抽象の神は人間宣言によって抹殺された。
いろいろ、あちこちに飛ぶけど、
ベルリンに有名なペルガモン神殿というのがある、
大理石の階段をのぼると、そこは、神々へ供物を授けた祭壇場となっている。
こののぼったところには、フリーズ、壁画の絵巻物が祭壇を飾っていたそうだ。
そこに描かれた物語は、テレホスという人物の一生について。このテレホスは、このペルガモンの街をつくった
創始者ということになっている。彼は、神々の子孫であるのだが、このテレホスがつくった街の住民は、
みな、自分はテレホスの子孫。つまり神々の子孫と思っていた誇り高き民族だったらしい。
もし、人が我は神の子であると想像してしまうなら
ものすごく高貴な気分になるだろう。
もしかしたら、ちょっとは自分に神の血が入っているだろうと
思うだけで、気分はどっかにいってしまうだろう。
当時の日本は、我々は神の子孫だと言う高ぶった気持ちで
みなが一致団結していたのかもしれない。
それを、敗北宣言ではなく、現人神の人間宣言としたところで
我々日本の神々は、ちりぢりにいなくなった。処刑されたといってもいい。
それから、神亡き現代。
オウム問題が発生するのもこれでなんとなくつかめるのだ。。。
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