2007年03月28日

リンリを見に。

fumieっちへ。
あのゆったりと流れる音楽のせいか。とてぇも落ち着く。
ダンナさんがいないので、ゆっくりとおよばれ。

9ヶ月のしゃべらない娘と集中した会話が行われている。
母と娘、分かりたい!&分かって!光線がパチパチにでていました。
言葉がなくても通じ合えるもの、なんとも不思議な光景。

私もみならって、テレパシー出してみました。
音楽家どうしの家なので、そこらじゅうに、ごろごろと楽器が転がっているの。
私は即興でわたしにもできそうな楽器(太鼓)をみつけて、アフリカ調のイメージを頭に思い浮かべて叩いたのよ。そして彼女を踊らせる事に成功!!

ちょっと、寝る時間なのに、コーフンさせちゃったかな。

夜はお母さんの大変なところも発見。
何時間かごとに夜泣きで起こされるのである。
あれはねぇ。げっそりしちゃうね。

彼女はまだ小さくて、現実と夢が交差して分からなくなっちゃうのだろうか。
言葉がないぶん、伝えられないジレンマも多いだろう。起きている時におこるそのわけのわからない混沌を処理するために夢があるのだろうか。大人の夢も浄化作用の意味があるのだろうか。

とぉにかく。大変なこともあるだろうけど、それをうまくのみこんでぇ、幸せそう。

小さい彼女の下膨れのほほがねぇ。
きゃわいい。こちらのほほをもゆるりとさせます。

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Posted by Eri Kawamura at 00:00 │Comments(4)どいつも。

この記事へのコメント

fumieのとこのチビ、まだ9ヶ月かあ。もう歩けるのかな。
子供が育っていくところを見るのって、不思議だよね。
まだ父親の経験ないけど、おそらくかつての自分を見るように、
そしてかつての親の気持ちを追体験するように、
我が子をみるんだろうなあ、とかってに想像します。
こんなにかわいいのに、
いずれ、やれ金くれだとか、かあさん、うるせえ、だとか、
とうさん、汚い、だとか、言うようになるんだよなあ。

とうさん、切ない。
ところで、あの風景は、つまり父さんを汚いもの扱いする思春期娘の
光景は、ドイツでも見られるのでしょうか。
それとも、日本独特の風景なのでしょうか。
Posted by junabi at 2007年03月31日 03:31
こう、よろよろと立ち上がって、ふんばっております。足なんかプルプルしているのよ。まだしっかり立てなくて。子供はあなたのコピーです!さぁ。どんなこと昔やっていたのか、ビデオのようにリピートしてくれるはずですよ。
おそらく、ここドイツでは父は威厳ある存在なんじゃないでしょうか。だから、思春期になってその枠から抜け出たいとなったら、なにか自分の秩序をつくらなければならないという欲求にかられ、子供は家から出て行くしかないのではないかと。そういえば、一般的に17とか18でドイツの少年少女たちは家から出ていって自分のフラットを持つようになります。ほとんどがそう。一緒に暮らしていないと、段々とお互いの立場がわかってきて、相手をリスペクトしていくようになると思うのです。お互いに。親の方も態度がかわるのではないかしら、関係性が変わるのだと。血はつながっているのだけれど、子供をある個とみる態度があるのではないかと。まあ、それまでに自立的に他者とやっていけるような厳しい躾が父、母から与えられていたということも考えられるのです。まあ、これはなんとも分からない、だって、人もそれぞれで、家庭もそれぞれだから。実際に、ドイツ家庭にホームステイしたこともないし。ただ、今まで、ドイツ家庭にお邪魔したり、同年代の友達とその親との関係をみて、想像してみました。日本は、どうだろうねぇ。なんかのことわざに、老人になったら、もう子供のいうことを聞けみたいなものがあったと思うけれど。それはそれで、一理あると思います。だって、やっぱり若い方が感覚は鋭いし、それで世の中を渡って行けるだけのスキルや、臨機応変さをもっていると思うから。時や時代というものは流れ、いつかは親の立場を次の世代に譲らなければならない時がくるのでしょう。子に道を譲るということは、そんなに簡単な作業ではないと思います。今までの状況を変えるのであるし、引く行為の中にあきらめに似たような感情もついてくるでしょうし。子は子で昔はついていけばいいものを、今となっては先頭に立って引っ張って行かなければならないので、それはそれで、たいへんな作業になっていくと思うのですが。まあ、お互いにお互いの大変さを分かっていれば、リスペクトは生まれると思うのです。
Posted by bonobono at 2007年03月31日 21:20
いやー、楽しかったね。バタバタで悪かったけど!また来てね!
それにしてもjunの想像の通りです。
自分の子ども時代を思い出し、自分の親へと思いを馳せる。
大きなわっかの一部に自分が居ることに気付く。
そんでもって、老いは誰にでもやってきて、
育てられた恩のようなものをしみじみ感じたりもする。

でもね〜、私はドイツも似たような家庭はあると思うよ。
この前公園で日曜に散歩している
熟年夫婦(カナリ仲良しで腕組んでる)に、
シラ〜〜〜っとしたティーンのギャル。
ぱっと見、他人同士かと思っけど
母が娘に何か話しかけ、イヤホンしてる娘から
「げ〜はなしかけないでよ〜、家族ってばれるじゃん」(心の声)
が聞こえてきた!

他人へのリスペクトを理解するのは
もしかしたら日本の子どもよりも早い気はするけど
やっぱりバンコク共通じゃないだろうか、思春期のあの感じは。
Posted by fumie at 2007年04月01日 21:54
なるほどぉう。そうかぁ。どこもいっしょかぁ。万国共通。
しっかし、fumieは心の声をきくのが上手だねぇ。見習いたいですがぁ。
どーすればいいのさぁ?
あ、こんなこと聞くのも野暮か。

またねー。遊びにいくよー。
Posted by bonobono at 2007年04月02日 20:31
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