イスラムについて調べています。
やはり気になるのは、
カシミアのおやじさんが、
人は一人だとよくいうのです。
もちろん人は一人なのですけれども、
人は一人で成り立っている、という意味で使っているのです。
そうなのだけれど、
おじさん。ということは属性とか共同体とかなしということですか。
それは孤独ではないですか。
と問うと
もちろん、属性とか共同体といういうものは必要だけれど、
わたしは自分個人で立っていたいし、依存したくもなく、依存されたくもない。
というのです。
このような発言は、
ここ個人主義といわれるヨーロッパのヨーロッパ人よりも
個人主義的に聞こえるのが不思議です。
特に、イスラムという国境を越えた宗教上でつながりをみせる
大共同体がベースとなっているのに。
ここベルリンのトルコ人などにみられるように、
彼らの多くは自営業者という例をとるとなるほどとも思うし、
結婚式に向かう華やかな車をみるたびに、
ああ、もう一軒ケバブやがふえるか〜。
などとちゃかす冗談があるように、
従業員がゼロでも、店のオーナーになりたがる傾向があるのを思い出すと
個人と共同体ってこの人たちにとってなんだろうねとも思う。
でも彼らは、なんだか個人主義といわれて久しいあるヨーロッパ人のように
個人主義のもう一つ裏側にある孤独感で悩んでいる様子はなく、
けっこー我が道をすすんじゃっているのよねぇ。
アラーの神の前ですべての人は平等だ。
神の前で、老人も子供も、裕福も貧乏もないのだから、
自分の身分や、お金のことをあまり考えないで、個人の趣向を大事にすることに発展するのかしら。。
最近、西洋化になり個人中心主義の傾向のあるなかで
なんかうまく生きる方法が彼らの中にあるのではないかと思っています。
そしてなぜ彼らが口約束を守れないのか。
それが本当に不思議。
これが彼らの個人主義の裏側にある弊害?なのかもしれません。。
引き続き調査中。
この記事へのコメント
突然ですが「個人中心主義の傾向のあるなかうまく生きる方法が彼らの中にあるのではないか…そしてなぜ彼らが口約束を守れないのか。それが本当に不思議」…そのあたり、ぼくも興味あります。
調査報告を楽しみにしてます。
お久しぶりです!!!
そーなんです。けっこう不思議です。
「いく!」って力強くいっておいて
来なかったりするのですから。。。
その言っていた時点で、ああ、これは怪しいなと
予想がつくのならまだしも。予測がつかないのです。
聞き分けられるように耳を鍛えようかとも。
あるいはその約束の時になにが彼らの周りで起こっているのか
テレパシー力を鍛えるかなど超能力者のようなことを考えましたが、
そんな大それたことをすることはあきらめ、というかできません!
ちょっと予備知識があれば自分なりに納得したり、
防げるものもあるかと思います。
起こりうることを予知しようと努力するのは
これはなんだか地震大国で育った性かもしれません。
イスラムの人間関係については
ある本を読んでなるほどと思いました。
また書きますね。