2007年03月09日

イメチェン。

部屋の模様替えをする。
といっても一枚の絵の話である。

冬色を脱するために。
衣替え

5人の美女?スキーヤーがサーサーとスピード感よく走行する絵が飾ってあったが
それを季節に合わせて、大きさも丁度同じだったから違う絵にー。

巨大アリの絵にぃ。

これで部屋に飾ってあるのは画面に一個体がドーンというものになってしまったぁ。

ジャミラを筆頭に、パンチョゥ、ランチョゥ、念力うさぎ、そして今日からの巨大アリ。

だいたい、アトリエからこれらを仕入れた時は、ノンタイトルなんだけど、その後のつきあいや
様々な印象で画面の中に登場する人物や生き物に名前がつけられていく。
→こんなの勝手と思われるかもしれないがこんなの所有者の勝手である。

さて、新しい仲間のアリ君は何て名前つけるかなー。
あるいはつけられてしまうのだろうか。

まだ、彼か彼女かもわかんない。
あ、それからか。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)あっ、私もかぁ。

2007年03月08日

ここは、確かぁ。

今日、帰ろうとおもったらオフィスプログラムの玄関前で、スーパーのビニール袋をさげたおじさんに、ここはぁ。ホテルだったよー。と声をかけられた。

なんか怪しいと思ったけど、普通のおじさんと判断し、会話をつづける。
そうなんですよ。ここは昔ホテルがあったところ、
でもそーとー昔に破産してしまったのですよ。私も、もともとどんな姿をしていたのか分からない方でぇ。。

ええとねぇ。このホテルは創業150年のホテルだったよ。
レセプションを入るとね、額縁がりっぱな絵画かなんか飾ってあって、
左手にクロースでも、きれいながあって、奥にはレストランがあったのだよ。

この場所が昔ホテルだったっていうのは知っているのですけれどもねぇ。
様子までは、知らなかったですよぉ。

それで、私の部屋はねぇ。通りにそっていて窓側で一番の上だったぁ。
えぇえぇ。今日泊まろうと思ってここに寄ってみたのにぃ。

って、おじさん、この前きたのはいつですか?

10年前。

えぇええ!

で、そのスーパーの袋になんか、もそもそ入っているようなものは、明日の着替えかなんか、かしら。

あー。残念。
この辺りでどっかホテルを探さなきゃ。
ぷらっと歩いていればあるかな。この通り沿いで。
ありがとう、会話を。

といって握手を求められた。

また、通りがかりの人に、ここはね。ホテルだったんよ!
と声をかけていたぁ。

大丈夫です。気ちがってないと思う。
ただ単におどろいちゃっているだけだ。

彼の話から、ここのなんか豪華で頑固なホテル像が浮かんで来た。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)どいつも。

2007年03月07日

アレクサンダー惑星駅

最近、なくなっちゃったようだけど。
あのアイディアいいと思ったんだよね。

アレクサンダープラッツの地下鉄U8で、電車がくるのを待っていたら、
電車が構内に滑り込んでくると同時に、オーケストラで(もちろん録音)
スターウォーズのはじめのような曲が、構内全体に響き渡ったのだよ。

ティーン、ティーン、ティリリ、ティーンティ、ティリリティーティ。

みたいに。

そうしたら、なんだかこの電車に乗って宇宙に出発するみたいな
幻想が浮かんで気持ちよかったぁ。

どこかに行くぞ!っていう意気込みが喚起されて。

思わず、タクロー!

って叫んだら。

鉄郎だよ!って突っ込みがはいった。

あれっ、吉田の方を呼んじゃったみたい。
いかん、いかん。

でも、とにかく、そのオーケストラ効果続けてほしかったなぁ。

アレクサンダープラッツにある別の地下鉄駅U2の方では、いつも公募によって
アートプロジェクトが展開されているけれども。これもいいアイディアですね。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(4)あっ、私もかぁ。

2007年03月06日

Zickerについて 補足

ツイッキッヒとは、元々は、女性の性格をいいあらわす言葉で、口うるさい女みたいな意味。
Zickeがメスヤギっていうことから、メーメーメーメー。うるさいっていうこと。

でも言葉って生きているもので、意味が徐々に変わってくる事もある。
私は、このZikerを“生意気”と訳したい。

ちょうど、Friedrichstrの駅でみつけたピンクの子供用のTシャツにZikerって
書いてあったから、私のZiker訳は的を得ていることを確認したのだ。

子供が大人とちがうところは、大人としてのフィルターがいない。
社交辞令というものがないのだ。
何気ない会話のなかで、子供が指摘することは正直な感想が多い。

子供はかわいいが、大人がもし同じような正直さで、対応すると
“生意気だ!”という反応が返ってくるだろう。

でも、生意気に聞こえる言葉ももとをかえせば
率直な意見といいかえることができるだろう。
ダイレクトなの。はっきり言えば。言い切られるの。勝手に。

だから、ときどき、打ちのめされるように
ウッとなるのだけれど、まあ、それはそれで、打たれると気持ちいいものでぇ。。
もしかして、私ってマゾ?

まあ、それはさておき、そうすることで、はっきり、すっきり

また、聞き手の方は、そういうのを心得ているから
言い切られた言葉を、ご忠告、あるいは批評としても聞き取ることができる。
あるいはあまのじゃくのZickerであれば聞き流す事もできるのだ。
それは自分次第。

だいたい飲み込まないでそのまま出される印象は、第一印象としてある程度
合っているのではないか?普通は隠された感情というものもあるところに、
歯に衣着せぬ発言というのはありがたいことだと思う。あるいは、挑発的ともいえるか。

そういうベーシックなことがわかっていれば、お互いにもんもんとすることがない。
それは怒ってしまってはもともこうもない。
これはピシャ!と言える技術だ。

例えば、クラウス・ヴォーベライトさん。
2003年のフォーカスのあるインタビュー内の一問。
お金はセクシーにしますか?(この質問もどーかと思うけど)という質問に答えて
いいえ。これはベルリンを見れば分かります。ベルリンはセクシーですがお金に困っています。

この自らの解答が気に入った、ベルリン市長は、この後何度もベルリンについての
文句としてこれをつかっている。
Arm, aber sexy
貧乏、だけどセクシー!

もう、あーのー。
なんですけど。
ベルリンの市長だよ!あんた。ちょっとぉ。そんなにはっきりぃ。

いや。本当のところセクシー度はわかりませんけど。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(4)どいつも。

2007年03月05日

zickerについて

ニューヨークのクール、
パリのモード、
ロンドンのエレガント、
ミラノのおいしかったぁ、
東京のなんでもあり。

ベルリンのツィッカー。

何を隠そうベルリンはツィッキッヒである。

p.s ごめんなさい。どうツィッカーか
説明しようと思ったけど、つづくにします。
とりあえず、遅くなったから寝まーす。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)どいつも。

2007年03月04日

おひな様。

昨日は、桃の節句。

Sチャンのお宅へ。
姫を見に。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)どいつも。

2007年03月03日

ジョギングとサウナと

ショリーンの家に午前中。ジョギングと彼女宅にある遠赤外線のサウナを使用しに。
その前に彼女の息子を保育園にあずけ、私たちはそれからジョギングに出かけた。

雨がふってきたので、折角の意気込みもちょっと台無し。
だが、まあ、まあ走ったということで中にはいり、早速、その自慢の遠赤外線サウナへ。私はだら、だっら、汗がでているのに彼女はあんまり。スポーティな人なのに、汗をかく穴が詰まっているか、もともと水をためてしまう性質だとか。同じような背格好なのに、あんまりにも体質が違くてびっくりする。

性格的にはボス的な彼女。それでいてダンナさんも会社のボスだから家の中は、
ボス・ボス同士で、雰囲気が微妙になるようなことも。
そういう時には、彼女の方が引く事があるとか(最初は)

中華料理を食べにいって、帰りの電車の中で、なんのきなしに、
出産時はどうだったかと、私に話した。

この世のものと思えないものだったとか。
細かく教えてもらう。

体的には丈夫で、丈夫な子も生むものだと思っていたし、
自分もすんなりと産めると思っていたけれど、結果は予定日をとても越してしまい
また、陣痛がきて、さらに20時間いたがってもいたがっても
子供は、彼女のしまった筋肉のおかげで出て来れず、最後に帝王切開になったと。

自分のおなかが開かれるのを見ていたということだったから。。
しかも、下半身麻酔がきいてなかったというから。。
すさまじいものだっただろう。。

もし、これが一昔であったら、私は出産とともに死んでいたわね。
不思議なものね。と最後に言った。

彼女は、沼津の実家にいらしていただいたこともあり、
家族の話をよくする。  

Posted by Eri Kawamura at 00:01Comments(4)こいつも。

2007年03月02日

天野祐吉のCM天気図

コラムニスト天野祐吉さんの著書、CM天気図 晴れのち雨編を一気に読んだ。朝日新聞、月曜の刊がきたら真っ先に彼のコラム欄を開いていたっけ。

この本にまとまったのは1993年から1995年のものだけど、なぜ今さらこんな時代のものを(すでに90年代もある時代になってしまった)再読する?と思われるかもしれないが、やっぱすごいの。

彼の目の付けどころと、そのCMを見ていないのに全体像がこちらに伝わる解説と、そしてCMから醸し出される世相を笑い飛ばし、しかし最後に読み終わって気づくのはその飛ばし散らしちゃったものをうまくかき集めてまとめているところ。あるいは掃除機のバキュームみたいにきゅきゅきゅっと吸引しちゃっているところ。

これは正に起承転結の典型!

捕らえるところは逃さないシャープな表現力。見開き2ページにきっかりとまとまっている。次のページも次のページも。読み切りながら、私の手と目はすぐに次の項目へ。読み手の心理はとうのとうに捕えられている。

ところで、これがどうしてきゅきゅきゅっと縛り上げられるように私の情熱を感化させているかというと、まずCMという誰でも知っているような素材(全国版のCMでも見てない人もいるだろうし、時間が経ってその内容を忘れちゃった人、あるいは元々日本のテレビを見れないという人もいるのに、コラムのなかで誰でも知っているようにしちゃう説明力もすごい。割と詳細にも描写してないのにですよ。絵の技法で言ったらドローイングの”さっさ描き”ぐらいか)を枠にして、その中に現代という時代性、もっとくだけていえば現代日本の雰囲気をCMという額にはめて見せてくれるの。絵画の鑑賞みたいに。

93年から95年にかけてという時代は、天野さん本人もそのあとがきで、「バブルもがはじけた後遺症」「こんどはドカンと大地震がきて」「オウム台風が吹き荒れた」としているように、日本列島まあいろいろあった年々だ。コラムニストとしては痛烈な批評を含めるには格好の時代だったに違いない。

でも約10年前の話なのに、今の時代性として読めるのはなんなんだろう。10年前というのはまだこう遠くを見つめるような昔ではないのか?この高速情報化社会の時代に?まとめてこのCM天気図を読むと、いくつか彼が気に入っているあるいは気になっているCMが判ってくる。

一つは、日清カップヌードルのハングリー?シリーズ。それぞれの新しい話が出てくるたびに取り上げ、それらをめちゃめちゃほめている。そして選挙のたびにでてくる政党CMについてのあきれた感じ。それはすでに広告としてのCMではないと、CMの意味を取り上げているような書きっぷり。
まあみんなそう思っているかもしれないけれど、こう滑稽に書けるひとはそういないだろう。

それから彼の書はやたらとカタカナが多いのが分かる。それは「バラって書ける?私、書けるんだよ」と言う安田成美のCM(キッコーマン)を受け合いに出した時に、こう告白しているのである。「ぼくは、むずかしい字はカタカナで書くことにしている。ユーウツなんて字を漢字で書こうと思ったら、それだけでもうユーウツになってしまうからである。」でもさぁ。そしたらさぁ。簡単な字の「ニッポン」もむずかしくなっちゃったっていうことかな。ハングリーに羨望する?
あ、これもカタカナですが。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)