韓国人アーティスト
Junran Kim
ジンラン キムさんを事務所に招いて
最近の彼女の近況をうかがう。
もう5年前からの知り合いだが、
今は当時とは立場の違った者同士としてお茶することができる。
5年前にもすでに活躍中であった彼女であったが、
その間にも韓国、パリ、東京、ニューヨークなどの滞在を重ね、
今しばらくは、ベルリンにいるつもりだという。
昔から使われてこられた古い家具と、日用品として日々手に取ってつかわれる石鹸
とを組み合わせた作品で知られている。
どす黒くがっしりと揺るぎなく、そこにあるのが当然のようなアンティーク家具。
それから使われなくなるもの石鹸。彼女は好んで黄色、赤、青、緑、青、実にカラフルなものを使う。
空気を覆う芳香と一瞬は引きつけられてしまうビビットな色。石鹸の第一印象は強いが、しかし、何十年、何百年単位で
存在する家具を次にみてしまうと、石鹸は、表面的で軽薄なものへがらりと変わる。表面的なものと奥深いもののギャップが現れ、
それでもこれらは離れ合うのではなく、一つの組合わさる作品となり呈示されている。
この明らかなギャップであるが、これを埋める作業(あるいは埋めなくてもいいという判断)は観者に任されるのである。
という、解釈(勝手にぼのぼの流)がつく作品の彼女。
の彼女に、韓国の「恨(ハン)」
について質問した。
いやー。それは重要な問題ですね。
と。
ジムランさんは簡単でないことだという意味を
簡単な言葉で言った。
韓国人はみな「恨」を持っていると。
これまた、一般的なお言葉をいただく。
辞書で調べると、
(朝鮮語)韓国民族の被抑圧の歴史が培った苦難・孤立・絶望の集合的感情。
同時に、課せられた不当な仕打ち、不正義への奥深い正当な怒りの感情。
おそらく、私が「もののあわれ」をあまり説明ができないように、
彼女も「恨」をそれは自分の中に根ざしてしまっているので、うまく説明できないだろう。
「もののあわれ」は、今の現代日本でどうーいうことになっているのか
なんともいえないし、これはまたテーマがはずれるので置いておいてぇ。
もしね、韓国民族が歴史的に苦渋を味わったものの恨みでその存在意識を保っているならば、
近い過去を思い返すと、怒りの対象は日本ということになるだろう。
こういう感情って、対象物がないと成り立たない。
従軍慰安婦問題とかあるけれど、感情の発生を文化的な立場から考えると
もしかしたら問題へ衝突することで、彼らの存在への意義があるかもしれない。
(お断り、これはまったくの試論です)
とにかく、韓国は日本をみてるし、
その醤油事件でもそうだったし、
台湾は、日本にあこがれをもっている。(簡単でごめんなさい、説明省きます)
日本の新たな戦後処理って、アジアのいろいろな感情を汲取りながら
アジアをまとめることではないかと
思うの。
EUは政治上でまとまってきてるからね。一つに。
ますます強くなるよ。
アジア、ちゃちゃちゃ。
アジア、ちゃちゃちゃ。
アージア。