2009年06月15日

お預かりもの

おおきな預かりものがあり。
というのは絵を預かっているのですが。。

ネット買いしたので、本物を見ずにこちらに運ばれて
1年。勝手にしていいというので私はわたしでそれを部屋に飾っておるのですが、
本人がちょうど海外出張でベルリンに寄るというので、モノホンを見たいという
ことになり、我が家に寄っていただきました。

本物とご対面ということで、
感激もの!!

でしたが。

あれ、これ掛け方間違っていると指摘をうけました。。
ごめんなさい。間違った方向で、一年鑑賞しておりました。
結構それで解説とかもしてたんですけれど。。

これ、正しい方向。
  

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2009年06月12日

山海塾

http://www.hkw.de/de/programm2009/in_transit_09/veranstaltungen_30162/Veranstaltungsdetail_1_32672.php

昨日は山海塾の公演にいってきました。
大学のころからファンだったので、
ベルリンでみられるのはすごく楽しみにしていたものです。

すんばらしい。

舞台は彼にとって日常と非日常の分かれ目。
カーテンコールは非日常から日常へとうつる移行のものとして
それもコレオグラフィー、振り付けをされているようでした。

西洋のオペラのような舞台と日本の能のような舞台の違いは
カーテンコールの時に観客が拍手をするのかしないのかに
あるといわれると、聞いた事があります。

それは、西洋では観客が拍手をすることで非日常から日常にうつる
きっかけをつくるということで、また能のような舞台になると
観客からは拍手はおこらない。それは役者も観客も舞台で起こった事は
日常にも起こりうるという日常とのつながりを意識しているからだと
いう考え方からだと。

山海塾のカーテンコールは役者自身がその必要から非日常から日常へ渡り歩く過程とも
いえるし、また彼らの体験として非日常と日常が繋がっているということを
最後に示しているような気がしました。

西洋と東洋の考え方をうまく自分の中にとりこみ
新しい切り口を提示しているなと、最後の挨拶の部分のみの紹介ですが、
そういった些細な配慮の連続がことが山海塾のダンスの魅力になるのではないでしょうか。

天児牛大さんのアーティストトークが公演の終わりにあるということで
この日を選んだのですが、

声が思いもよらない音色をしていて
びっくりしました。

やはり、それなりの事を続けられている方、
答えにはなにか芯になるものがあって、それを暖かく包み込むように
話され、伝えようとしていたことが印象的でした。

コンセントレート、集中という言葉がよく彼の口からでてきたので、
個人的にですが、集中力を高めるためにはどうしてらっしゃいますか。
という質問をさせていただきました。

即答で
時間と空間に自分が中立になること、それを持続させること。
という答えがきました。

天児さんのサインは
人が空に向かって手を広げている様子をまず描いて
ご自分の名前を書かれていました。

隣の方がもらっているのをのぞいてでのことです。

最近、仕事のことで頭がいっぱいで、
ダンスをみるような落ち着いた時間をもつことも大切だなぁと
感じた次第です。
  

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2009年05月25日

ドイツ語講座 6月号

6月号でました〜。

  

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2009年04月23日

おくればせながら復活です。

イースター、復活祭を
寝たきりですごし
復活しました。

  

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2009年04月17日

またまた

またまた、
やってしまいました。

ぎっくり腰です!
今度は深刻で。。やってしまった時から全然動けず。
ほんとうに動けなくなるものですね!びっくりしました。

友達に連絡するために携帯まで行き着くのがやっと。
はたまた、その友達に助けにきてもらうために
ドアにいきつくまでに数時間。。。

そんな状態だったので、
アパートがものすごく豪邸にみえました。

イースター前にやってしまったので
幸か不幸か世の中はストップしていたので
安心して休める事に。

ただし、買い物や料理とかはできなかったので、
友達が日々交代交代作ってくれる事に。

ありがたいです。
ほんとうにありがたかった。
  

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2009年03月24日

一つ星料理人 クリスチャン・ラハ

テレビのRTLが面白い!!

最近、ゴールデンタイムになると
テレビ番組に飛びついている私です。

素人さんがでてくる番組が最近多い中。

例えば、素人さんからアイドルを探す
ドイチュランドスーパースターとか
これもアメリカの影響もあると思うのだけれど、
知らない男女を一カ所に住ませるビックブラザーズとか
もあるのですが、

私がいつも気になるのは
その道のプロが出て来て、自分の力のみではできないような
改善をしてもらえるようなもの。

たとえば、もうぜんぜん手が出なかった部屋の改装をプロに全部任せるものとか、

どうしても溜まってしまった借金からどう出られるか、
具体的に専門家に指導してもらって一緒にこのあり地獄から
逃げ出せる道を探し出すとか。

または、もうどーしようもないうちの子供。
不毛な怒りを抱えるティーンエイジャーを
アリゾナの真ん中に連れて行って更生させるプログラムを取材したものなど。

素人さんが出て来て、とても現実味がある番組が造られている。

その中でも、すごいと思ってしまうのは
クリスチャン・ラハのラハ、レストランテスターという番組。
http://rtl-now.rtl.de/rdrt.php

自身もハンブルクにターフェルハウスというレストランを持ち、
ミシュランで一つ星をとったというシェフが登場。
http://www.tafelhaus-hamburg.de/

経済的に窮するドイツ国内のレストラン、オーナーからの助けて〜に答え、
どこをどう直していったらいいか、厳しい批評を重ねながらも
どうにか地域の皆様に喜ばれるようなレストラン作りを教えていくというもの。

今までの番組では
独自のビール醸造所をもつが、なんとも客の入りが悪いところ。

豪華な建前のレストランを2代目が継いだのだが、
その途端に今の客も昔の客も寄り付かなくなったところ。

コックとウエイトレスの連携があまりにもうまく行かず、
そのヒステリー感が客にまで響いているところ。など。

番組で今日ラハがいきますよ〜という日の
大体1日前に彼はレストランにやってきて、
さあ、料理を食べさせてもらおうか
というところからが始まる。

その前からラハのチェックが始っている。
お客がきたのに、誰も気づかないということも。
なんか変な匂いがしたり、
化粧気のない女将がでてきたり。。

ちょっと日本ではあり得ないですが。。

ほとんどのレストランはこの彼の早々の登場に戸惑い。
そしてその日一日にして普段の有様をさらけ出すことに。

ぜんぜん、おいしくない。
なにこれ。

と酷評し。

キッチンに、口に合わず全然食べられなかった
料理をもっていって、料理人にわざわざ見せる。
ちょ、ちょっと、いやな人ですけれど。

まずは事実を知る事が大事ということ。

あまりうまくいっていないレストランのほとんどは
キッチンの清潔感、素材の保存状態、整理整頓に問題がある。

全部捨てろー

というところから始るレストランも。

料理人は、一つ星のレストランのラハがくるというので、
料理の一つでも教えてくれるのかと思って期待を抱いているのだけれど、
実際にキッチンに立つ事は少なく、

きれいにしろ!
から始るので、料理人達はわけがわからず、
内部の鬱憤が溜まるばかりだ。

その上に
このメニューではお客さんがつかない、
どうしてだか考えて、新しいメニューを考えるように。

テーブルのデコレーションがいまいち。
タパスバーなら、もうここがスペインと思えるようにして。

ウィンナーカツレツをスペシャルにしたい?
ウィーンで食べた事ある?ないなら行きましょう。

私が料理を指揮するので、
本日はウェイトレスが料理室に入るように、料理人はテーブルを整えて。
役割を交換すれば、その人の気持ちがわかるでしょう。

とか。

なんとも酷評、叱責と驚く発案で

彼には1週間しか与えられていない。

ものすごいエネルギーで
そのいけていないレストランをブラッシュアップしていく。

料理とは、あげて、あげて、戻ってくるものがあまりにも少ないものだよ。

という彼。

彼の行為もその一つだ。

レストランテスターという題名であるが、
レストランを批評するばかりか、救っていくという
救世主という役割を持つ。

そういえばドイツの料理は、やはりフランス、イタリア、スペイン料理
からすると、どうもお株を取られがちだ。
北の国の料理とは違うものだという。
生活に潤いをもたらすためにというより、まずは寒さから身を守るためという
大義名分がある。だから当然南の国の料理とは違うものになっていくという。
それでも、美味なドイツ的な料理はつくれるという彼。

ドイツ料理の救世主ともいうことができるだろうか。

最近出版されたラハの料理本は
Kochgesetzbuch
料理法律本
と名のついている。



なんとも法国家ドイツらしい。。

なんかすごく厳しそう。けど愛があるような。

数学と哲学を学んで
料理にて学生時代食っていたというところから
料理の道に入ったというラハ。

大学での学問では職業につかなかったようだけれど、
彼の演繹的で思想家のような背景はこの時に培われたのでないでしょうか。  

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2009年03月03日

久々にヤンが。

久々にヤンから連絡。

中国女である。

北京とベルリンに事務所をもち、
半年ごとぐらいに行ったり来たりしている。

部屋を買ったと噂にきいていたのだけれど、
3月2日。
引越を昨日したので家においでと誘われた。

以外と物がない人である。家には。

あとの荷物は北京にコンテナで送ったと。

じゃぁ。北京に本拠地があるっていう意味?
じゃーなんで部屋なんかベルリンに買ったの?

と問うと

実際に荷物が北京にあると思うと、ベルリンは常に旅の途中、仮の宿と思うことができるの、
だからずっと気が楽になったわ。仕事にも集中できるの。
と言う。

文化大革命で両親が追われてドイツにやってきたのだから、
好き好んでドイツに来たわけではなかった彼女。

ドイツに来た当初は、
いじめを受けたりしていたそうだ。
だから楽しい思い出はあまりなかったに違いない。

ドイツの大学を卒業して、ニューヨークにいったりしたけれど、
正直に思った事を言う彼女のキャラクターは完全にドイツ的になっていると思う。

北京が故郷のように今は言うけれども、
あんまり言いたい事がいえないのよ。それも辛いとも言う。

昨日はストレスで鼻血がとまらなくなったの。
とも言っていた。

彼女のことだから、一人で大きなプロジェクトを抱えているに違いない。

雇っている人はいない。
人を雇っていると自分が定時に来ないといけないのがいやなの。
とも言っていた。

自分がいかにモバイルであるか
時にはそれはすごくストレスになっているけれども、
それが刺激的でいいのとも。

去年に彼氏ができて、それもすったもんだの略奪っぽいことだったけれども
改めて彼の写真とか見せてもらったら、二人とも幸せそうで
彼はビンボーだというけれど、少なくとも彼女の精神的な状態はよくなったようだ。

彼は、代々伝わる京劇の家系だという、ただ、今は京劇の仕事は少なくなっているので
それを継ぐ意志がないのだとか。他の職業についた。

ちょうどお遊びだけれど京劇の化粧をしている姿があって、それは様になっていた。
幼少のころから訓練があったというから、体が覚えているのである。
今は役者だけでは食っていけないので、だれも跡を継ぐ考えはないという。

ちょと残念。
特に猿役がすごくぴったりしていた。

彼らが旅行した旅先での出来事をとった写真を見せてもらったのだが、
その中に中国庭園を写したものがあった。

立派な木の囲い塀があり、
塀のところどころに窓とはいかないけれども
細かく彫って装飾された大きめの円形の枠があった。

日本の庭園は庭園の中にある木が植物さえ整備する傾向があるけれども、
中国のはワイルドね。植物はそのまま、のびたらのびっぱなしでいいの。
と。

そういえば、木々がのびのびしている。

また夕方公園での風景。
老人達が集っている。

ここでね。毎日老人達が集って来て歌をうたったり
踊ったり。まるで子供のようね。

子供のときのように公園にあつまってくるのよ。
老人になったら。

日本にもそういう習慣ある?

日本には、どうだろう。

明日朝、飛行機にのらなきゃというので、
本日はそろそろ失礼する。











  

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2009年01月29日

研修生アネちゃん。

研修生制度というものをつかって、
日本学や、日本の文化を専攻している学生に声をかけた。

私たちのla-con の活動を手伝ってもらえるような方はいないかと。
それが去年の10月のことで、何人か応募があったので、面接して
彼らの希望と私たちの希望があう人にお願いすることにした。

大学生ということで、大体80年代生まれの方。
10歳も年が違うなんてこともあり。

ドイツ人との深い付き合い方は、
タンデムなど語学交流などでできるかもしれないけれど、
ちょっと今回は違う形で。

日本の若い世代とつきあうこともあまりない中、いきなりドイツ人の若者と接する事に。

11月から第一期としてアネさんが私のところと、
もう一人いっしょにやっている宮崎くんのところで研修を受けた。

研修といってもぉ。。
こちらも始めてのことで、あちらにも迷惑をかけたにちがいない。
行き違いも多かった。。

彼女は日本の政治、経済、社会の研究をしており、
文化面を特に知りたいということではなかったのだけれど、
ゆくゆくは日本で勉強したいと、そのために私たちのところに応募してきた。

お父様が東ドイツ時代の海軍のお医者さんだったということで、
ロストックで生まれて、その後はリューゲン島で育ったという。
ドイツではめずらしく、海を知っている人だ。
また、これもめずらしく島国文化の気質が備わっている人だと思った。

リューゲン島に私も行かせていただいたことがあり、
行った土地のことを話し合えるのはよかった。

あの島にあった新鮮な空気のことはなかなかビジュアルで伝えられないのが
残念だけれど、一番話題になったのは、空気の奇麗さだった。

海が周りにあることで、空気の流れが速いらしい。

彼女には主にアドレス関連の整理を手伝ってもらう。

あるいは、日本人といっしょにお寿司を食べにいきたいというので、
彼女ご指定の寿司インビスにでかけたり。

その時はしきりに私の感想を聞きたがった。

この日が彼女の研修が最後の日で
なんだか、ごそごそと新聞紙の包みを出して
お礼です!という。

そんなに大したことをしてないのに。。と恐縮しつつも
包みをあけると、

自分で描いたという絵。
墨で描いた北斎似の波と富士山のようなものが
かかれてある絵と彼女が好きだという歌の歌詞が書いてあった。

心がこもったものをもらったと思う。

私の絵画コレクションに入れます。



  

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2009年01月24日

フライブルク

南ドイツ、フライブルクへ。

初の一人出張。

飛行機をつかったら
大体片道4時間ぐらい見込めばいいし、格安飛行機券も手に入るですが、
朝、ちょう早くいかなければならないのがちょっと難。

あちらで待っていてくれたのは、
太陽エネルギーを研究する物理学者。

なにをやってるか、聞いてもさっぱりわからないのだけれど。。

ひょんなことから知り合いになり彼の仲介で
とんとんとビジネス話がすすむ。

彼自身、コアな日本フリークで
私もせっせと勉強しなければ、ついていけないことに。。

個人的にみてほしいものがあるというので、
なんだろうな〜と思ったら、
気に入ったので、日本の骨董屋で買ったという、刷り物を見せていただく事に。

日本語を読んでどんなことが描いてある&書いてあるか読み取ってほしい
というご希望を聞き。
ふむふむ。

昔の字体&行書なので、まったくわからず。

すべて推測ですすんでいく。
ちょっとは読める字もあったけれども、
それがその当時何を意味しているものだったのか分からず。

鑑定団のようなことに。。

ど、どうでしょうかねぇ。
海外で鑑定団って。またこれが日本美術を知るきっかけにもなると思うのですが。

  

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2009年01月19日

どうしてだか聞かれて。。。

50ユーロ札を
くずさなければならず。

駅構内のインビスに立ち寄る。

アラブ系のおやじさんがやってる。

すみません。50ユーロ札をくずしていただけますか。
あ、できれば、20、20の5の5に。

もしできないのなら、30セントぐらいのチョコレートぐらい買おうかなと
思っていたのだけれど。

まあそれもいやがられるかなー。
と思っていたところ、

どうしてお札をくずしたいのかと聞かれた。。

ええぇっとぉ。
上司に25ユーロ返さなければならないのです。
それで、50ユーロ札だけあったら、50ユーロ札渡さなければならないでしょー
それって2倍渡すってことになっちゃうから。。こま

と言い終わる前に。

20、20の5の5が目の前に。

キオスクの親父さんは、なにを期待していたのだろー?
な、なんでそんな質問したのだろー。

聞かれたら、なにかとっさに面白いことを言えばよかっただろうか。

焦燥感がつのる。。。






  

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2009年01月15日

おっと、オットー

Otto Waalkes
オットー・ワァールケス

マイブームです。

ドイツのコメディアンでもある彼は
歌えて、踊れて、口が達者。ということで
70年代と80年代に彼のショーで有名になった。

それからショービジネスというより
本やCDを出したり、映画をつくったりというようなことで
しばらくは、ショーからは遠ざかっていたようだけれど、

また近年、彼のツアーが始ったりして
再燃の方。

コメディアンとしてカルト的存在。
主には替え歌で有名なのです。

下は若い時のヘンゼルとグレーテルから
http://www.youtube.com/watch?v=wV6UyDWz5nY

この前ベルリンでもショーが。
http://www.youtube.com/watch?v=_whF1ZmF2xY&feature=related

なんかすごいんですよ。ただ笑いだけをを提供するだけでなく、
お客さんに突っ込みをしたり、あるいはお客さんが手をふったり、
歌ったりして、参加していくっていうか。
最後は笑いで一体になっていくっていうか。元気をもらうっていうか。

イェーイ。
ハッツハー!
っていう彼の声がいいのかなぁ。

にしてもすごい早口です。

金曜日にまたRTLでライブのテレビ放送があるらしいので楽しみ!


  

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2009年01月03日

セールス始りました。

正月から体調を壊し、
うなっておりましたぁ。

ふうぅ。

久々に体をおこして
クリスマス商品特売とかが始っているデパートへ。

靴がはきにはいて気に入らなくなったので、
違うのを求めようと試し履きをしていたら、

ちょっと、あなた。
と呼び止めるお客からの声が。

私、ここで働いているんじゃないんです。
って言う言葉を用意していたら、

この靴どこでかったの?

って指しているのはわたしの履き古した靴。

ぜったいこの店にはありそうもないタイプだ。

こういう靴をさがしていたのよー。

結局、履き古しでよければ。どうぞ。
にはならなかったのだけれど。

なんだかおちおち新しいのを試している場合ではない雰囲気に。

  

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2009年01月01日

明けましておめでとうございます!




皆様。

旧年は大変お世話になりました。よい年始め、新年をお迎えくださいませ。
la-condition-japonaiseでは年明けに
展覧会「Ubiquitous Oscillations」を準備しております。
2009年1月9日General Public にて行われますオープニング、
他期日のコンサートで皆様に新年の挨拶ができましたら光栄と存じます。

http://ubiquitous-oscillations.com/

これからも引き続きのご指導よろしくおねがいいたします。
河村恵理


//////////

ubiquitous oscillations
or fourier changed our world curated by Shintaro Miyazaki

The exhibition is from the 9th to 16th of Januar.
Opening is at 9th of January, 0700 p.m
Opening hours: Daily from 1400 to 1830

There will be also concerts:
Mo 12. Januar, 2000 Uhr: Shingo Inao (live sensor electronics), Stephane Leonard (laptop)
Mi 14. Januar, 2000 Uhr: Ken Okami (neon lights, electronics)
Fr 16. Janua, 2000 Uhr: Daisuke Ishida (laptop), Seiji Morimoto (electronics)

Guest-Artist (Presentation):
Thur 15th January, 0800 p.m: Jan-Peter E. R. Sonntag
Jan-Peter E. R. Sonntag, who won the prize of german soundart 2008 (Deutscher Klangkunst-Preis 2008) will present his works and ideas.

Furthermore Martin Donner (M.A.), Oswald Bertold + Sebastian Döring will talk about Fourier, sound, electronics and media history (in german language).

  

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2008年12月28日

ショファー ヘンドリック

年末。
運転手、
ショフェァーヘンドリックさんと偶然会う。

仕事場でなので、偶然といったら変かな。

いつも、にこにこと恰幅のある方で
お元気でしょうか?マダム。
と堅い握手をかわす。

フランス人なのでマダムと最後はドイツ語で話していても呼ばれます。

あなたは元気ですか?
と聞くと。

はい、もちろんいつも元気ですよと

返ってくる。

どーしていつもそんな風にいつも元気でいられるのでしょうか?



聞き返すと。

ええ、常に勝たなければなりませんので。

と。

言われてすすーと
図体が大きいのにちょこんと高級ホテルの入り口で
すぐさま敬礼ができるかのようにご主人様待ちに入られました。

ヘンドリックさんがいう勝ちって
勝ち組になるっていうことなのかなと
一瞬思いましたが、

そーではなくて、
そういえば、彼は18のときから兵役につき、
また、このベルリン分断の時さえも
フランス軍に、そして次には英国軍に写真家として何十年も仕えた方だったので、
もう、彼の人生には“兵”とか“戦い”という文字が消せないものであると思った訳です。

そう、戦うのであるならば彼の場合、当然のように勝つための日々を仕込まれておると
彼の追って来た人生を考えながらそう思いました。

今は、運転手として、毎日変わるであろうご主人様が勝つために
いろいろ戦略をねって日々楽しんでいるようです。

戦略といっても道順ですとか、どこにいったら楽しんでもらえるとか、
あのお店やレストランへ何時までお連れするべしといった
そういったところでしょうけれども。

リンリン。

あ、ヘンドリックさんから電話がこちらの担当にかかって参りました。

あのー。ご主人様ですが、希望通りにデパートへお連れいたしました。
早めに到着されまして、わたしは帰ってもいいとおっしゃっているのですが、
本当に帰ってもいいでしょうか。

そーですか。お客様が帰ってもよろしいというのであれば構いません。

こちらの担当も
ヘンドリックさんの人生観に影響をされたのでしょうか。
最後の言葉は

Ihre Leistung ist beendet.

でした。

あなたの“任務”は終了です。

仕事じゃなかったのねー。
  

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2008年08月05日

ワルシャワぁ

週末はワルシャワの郊外へ。

電車でとことこ,遅れたりするけれども6時間ほどの旅です。



ロンドンの語学学校で一緒に勉強した方のお宅へ。
なんとも、ロンドン繋がりがこんなことに。。

近いからおいでよといわれ、
快諾してしまったわたしでした。

彼は銀行勤めの方で、能力が買われて転職をされるというので
前の職場と新しい職場の合間の一ヶ月自分の不得意分野を埋め合わせようと
ロンドンに語学留学されていました。

家族持ちで、妻と小さい子供がいると幸せそうに語っていたので、
しあわせそーだなぁと思いつつ、
てっきりワルシャワの郊外に住んでいる核家族のもとに招待をうけたかと思ったら、

4世代の同居の家で、ビックファミリーなところにお邪魔させていただくことに。。
そんなにお土産用意してこなかったよ〜と思いつつ。混じるわたし。

もうこの家に30年住んでいるということです。
にしても奇麗に掃除などがゆきとどいていて、新築といってもいいぐらいでした。

ということは自分の実家ってこと。

階ごとに分かれていて、
一番上は若夫婦
その下はおじいさんおばあさん夫婦
その下はひいおばあさんが住んでいます。

わたしは若夫婦のゲストだったので、
彼らの階に寝泊まりをさせてもらいました。

なんかねぇ。ポーランドの人は言葉が通じなくても、
一人にさせない感覚があって、ああ、こういう感覚はドイツにはないなぁ、
もしかしたら現代の日本にもないかもしれないものを見つけました。

逐一そばにいるという訳ではなく、一人でぷらぷらしていていても、
自分はこの家族に守られているし、たった二日で、単なる外国人で他人だったけれども家族として
迎えれてくれたという経験はすごいなぁ。と思った次第です。

最初言われた言葉は、
自分の家と思ってください。
ということだったし、

当たり前に食事がでてくるし、
当たり前に送り迎えがあるし、
当たり前に出るコストは主人持ちだったのです。

だんなさんは30前半の働き盛り
銀行マンで、ポーランドには国営と私営の銀行があるけれども
やはり勢いがあるのは私営の方だと。そんな私立の銀行に勤める彼。
これから国内でも一番、二番となるような銀行をめざし邁進中だとか。

そんな彼でも、昨今のポーランドの犯罪事情にはかなり危機感をもっていて
近代化、国際化していくワルシャワに自分が仕事上加担しながら
経済格差による、貧富の差がますます広がっていくのを大変危惧している方。
時には彼の家族にだってなにかしらの刃があたるかもしれないのです。

そういう会話が端々にでていた。

昔、自分の親は共働きをしながらも
まだまだ生活に余裕がなかったので、
土地を畑に開墾し、野菜を作っては売っていたという。

それも今は自分がいい職場についたので野菜は自分達のためだけのみ
に作っているといっていて、見ればなるほど。100ヘクタールほどの菜園が
広がっていた。すべて、無農薬野菜ということで



いや、これはとても豪華な生活だよ。
とわたしは言った。

彼の高収入のことをいったわけではなく、
自然食を食べながら健康に生きられる生活という意味だったのだけれど。

この豪華さはまだ彼には分からなかったらしい。

えりの言っていることは分からないと言われた。

2日目は
夕方から彼の知人の結婚式に出席。

知人の知人っていうことだから、わたしからいえば、ぜーんぜーん知らないお二人の
教会での結婚式に出席。

いいんでしょうか。
と思ったけれど。

あなたが来たいのであればどうぞと言われて

いきます。の返事をしたのは2週間前。

アベマリアがパイプオルガンで流れたりしていたけれども、
格式張ってはいず、カトリックの形式に従うということのみ。

その後は近くのレストランで祝賀会が行われた。

机にネームカードを発見して感激。し、知らない人なのに。。

そしてさすが、ポーランドです。
最初から、ウォッカでの乾杯があって。

なにかにつけ乾杯の音頭がある度にウォッカを注がれ。
ヒェーといいながらも、ウォッカと飲料水を交互に飲むはめに。。



食事は前菜がテーブルの上に山盛りに置いてあって
食べ尽くすことはできないほどに。
スープの後、メインの料理が2時間ごとに肉、魚、肉の順で3皿!。
最後の一皿はほとんどみんな残していたけれども。。

あとは、ダンス。ダンス。ダンス。

男女が一組になって、ワルツでもなく、チークでもなく、
その時の音楽に合わせてリズムをとっていく。

こ、こんなことなら、ちょっと練習しておけばよかった。。。
伝統なんですって。

男性は、曲ごとに別の女性と踊って行く。
最後は、男性側からのジンクイエとありがとうの挨拶と、手にキスをで終わる。

わたしは、パートナーとこの披露宴に参加していなかったので、
おじさま達と踊った、踊った。

こ、こういう時はセクハラと思わずに踊るものです。
なんかこーいうのもおじさま達の楽しみになっているみたい。

日頃の労いもかねて、サービス、サービスと思いつつ。

12時の深夜にケーキカットが行われて、
その後は、花嫁さんがブーケを投げる予定になっていたのですが、
その時の介添人が彼女の妹さんで、次の候補生として妹にブーケが渡りました。

花嫁さんのブーケがなにがなんでも欲しかったのですが、
それができなかったので、次のゲームに参加。

椅子とりゲームでした。

3人の大男と、2人の女性が争うことに。
もちろん参加させていただき、たぶん音楽もちょうどいいように
切れるようにしていただいたのでしょう。
一番最後まで残り、戦勝品をいただきました!

ひえひえにひえた
ウォッカ。が差し出された時は

呆然とその品をみるわたしでした。

だんなの方から前々から言われていた言葉は、
どーしてもっと長くいることができないの。
だったのだけれど、

最後の日に同じ言葉をお母さんからきいて

いや、いろいろやることがベルリンであるとか理由つけられることなのだけれど、
そういう理由を聞くために聞かれている質問ではないと思って
答えに困った。

多分彼はお母さんからそんな言葉を聞いて育ったんだろうなと
思い、だからこそ彼は自分の意思で実家にいて、働き盛りの今
家族4世代の大黒柱としてあるのだなぁと思った。

プロシエ、どうぞ、どうぞ。
という言葉が耳についたこの週末でした。







  

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2008年07月07日

西洋の契約、イスラムの半契約、日本の信用社会

さて、すみません。
ご無沙汰してしまいました。

ドトーのように過ぎ去るこのごろ。。

7月の展示はお休みさせていただいて、
同じ場所では他の団体の展示が行われています。

イスラムの人の話からずいぶん時間が経ってしまいました。
ごめんなさい。

イスラムという国境をも越えた宗教上の共同体がありながら、
ヨーロッパの方より、個人主義的ではないかということを以前書きました。

そして、なーんで口約束は守れないのだという疑問も。

個人主義的だと書きましたが、
ちょっと改め、個人的志向が強いとでも言っておきましょうか。

それはイスラムという宗教観はありますが、
キリスト教のように偶像は禁止されており、
視覚化されておず、他のモスリムと共通のビジョンが共有されてない中で、
唯一神であるアラーと自分が直接
対峙するという宗教上の性格からきているかもしれません。

神の前ではみな個だというもの。からきているのかもしれません。

ただただ、彼らはとても神の前以外の現実の世界でも
個人的志向を高めているかと。

たとえば、輪廻転生の概念などないし、
それを脱したところの涅槃の境地へ到達へのあこがれもない。

生まれ変わるという概念がないので、来世というビジョンがない。
ということは個人として生きることをこの現実の世界で全うしようとするのです。

結構現実主義。

だから、ものすごくこれがやりた〜い。
みたいな意志が強く、それがすぐ行動にでる。

もちろんそれがすべてではなく、
いろいろなモスリムもいらっしゃると思います。。

今現在、なにをしたいかが重要なので、一瞬一瞬の気分により
また一瞬、一瞬の好き嫌いにより決定を変えることがある。

だから、約束をしたのに、すっぽかされたりすることも。

その時の自分の気分を大事にする。
それは、ずいぶんおっしゃることはよーくわかります。
気分は大事ですよね。
あのぉ。やはり来ると思って、準備しているわたしとしては困るんですけれど。。
それはこちらから申し上げると“身勝手”face04ということです。

ということにもなってくる。

それでも、社会的にも経済的にもある程度社会が成り立つためには
気分だけで行動しては成り立たないと思っていたところに
面白い記事を発見。

本のタイトルは忘れましたが。

それは西洋とイスラム、そして日本の社会構造について
述べている図解。

とにかく、西洋は契約社会、
契約とおりに動くことで人との関係が保たれている。
その契約も人間の態度に関わることも多く、割と気分で動くというような
その人が決められるような範囲は少ない。
四角のなかに、もう一つ一回り小さい四角が。
その四角と四角の間はあまりあいていない。四角、角張っている。

イスラム社会も実はああみえても契約社会。
ただ、契約が行われた場合は、厳しく敢行されなければならない。
特に経済に関わる契約は大事。それと結婚に関わる契約。
ただ、契約されていないところは
余裕があり、自分の意志や気分で決められることも。
なにか別に理由があれば守らなくてもよい。という契約外はゆるい社会
四角のなかに、もう一つ小さい四角が。
その四角と四角の間はちょっと間があいている。

日本は信用社会。
契約ではなく、信頼関係で成り立つ。
だからわざわざ契約をするのは、信頼されてない証拠だとして
感情的にはいやがる傾向に。
四角のみの図解。
(働く時は契約とかあると思いますが、ベーシックはかなり納得)

一つその本のなかに
逸話が。一つ歴史をむしかえすようだけれども。

1991年1月15日、ニューヨーク時間の夜中12時。
バクダッドでは朝8時にあたる時間。
アメリカ側が提示した、締め切り時間。

朝には攻撃をしかけないだろうという
大方の予想を裏切らないで、16日の夜半にバクダッドが
アメリカ軍によるイラク攻撃がはじまった。

ただし、イラク側からすれば、
あれは言っているだけ。攻撃はないだろう。
という見方が大方だったとも。

そうそうあれはお互いに調印した契約じゃなかったし。。
なんともいろんな考え方があるものです。


















  

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2008年06月20日

FIGARO Japon voyage

4月にフィガロボヤージュのドイツ特集、北ドイツを
コーディネートいたしました。



本日フェディックスにて手に取り
情報量の多さとビジュアルの良さに
さすが、さすがと関心しております。

4月はこういう旅をしておりました。

これ一冊あるとドイツ旅行は便利便利。

書店にてぜひお求めください。
ただ今発売中です。
http://madamefigarojaponvoyage.hankyu-com.co.jp/  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)人間について。

2008年06月03日

最近

イスラムについて調べています。

やはり気になるのは、
カシミアのおやじさんが、

人は一人だとよくいうのです。

もちろん人は一人なのですけれども、
人は一人で成り立っている、という意味で使っているのです。

そうなのだけれど、
おじさん。ということは属性とか共同体とかなしということですか。
それは孤独ではないですか。

と問うと

もちろん、属性とか共同体といういうものは必要だけれど、
わたしは自分個人で立っていたいし、依存したくもなく、依存されたくもない。

というのです。

このような発言は、
ここ個人主義といわれるヨーロッパのヨーロッパ人よりも
個人主義的に聞こえるのが不思議です。

特に、イスラムという国境を越えた宗教上でつながりをみせる
大共同体がベースとなっているのに。

ここベルリンのトルコ人などにみられるように、
彼らの多くは自営業者という例をとるとなるほどとも思うし、

結婚式に向かう華やかな車をみるたびに、
ああ、もう一軒ケバブやがふえるか〜。

などとちゃかす冗談があるように、
従業員がゼロでも、店のオーナーになりたがる傾向があるのを思い出すと
個人と共同体ってこの人たちにとってなんだろうねとも思う。

でも彼らは、なんだか個人主義といわれて久しいあるヨーロッパ人のように
個人主義のもう一つ裏側にある孤独感で悩んでいる様子はなく、
けっこー我が道をすすんじゃっているのよねぇ。

アラーの神の前ですべての人は平等だ。
神の前で、老人も子供も、裕福も貧乏もないのだから、
自分の身分や、お金のことをあまり考えないで、個人の趣向を大事にすることに発展するのかしら。。

最近、西洋化になり個人中心主義の傾向のあるなかで
なんかうまく生きる方法が彼らの中にあるのではないかと思っています。

そしてなぜ彼らが口約束を守れないのか。
それが本当に不思議。

これが彼らの個人主義の裏側にある弊害?なのかもしれません。。
引き続き調査中。

  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(2)人間について。

2008年05月28日

タクシー、ラズべガスにて。

ようよう。
Where do you want to go?

ちょうど空港からタクシーに乗る用事があって
乗ったら、黒人のドライバーさんだったのだけれども
ラップ調で開口一番にこうきかれたから、
ラズべガスに着いてしまったような感覚にとらわれたのです。

to どこどこへ。お願いいたします!

と英語を聞いた途端、簡単な言葉だけれど考える間もなく
口をついてでてきたのは、うれしいことだったのでした。

よかった。あの時に、ロンドン研修しておいてと思うこのごろ。

あの時期をはずしちゃっていたら、もうなかったかもなー
と思いつつ。

また英語をならいたくなってきたのよ。

おれの孫はなー。

お孫さんがいらっしゃるのですか?
そうはぜんぜっん見えないっすけれどもぉ。。
はい。お孫さんが。。

Yokoっていうんだ。

へー。日本と関係があるのですか?

おかあちゃんが、日本人とアメリカ人のハーフで。

へぇー。

ところで、ようこってどういう意味?

えっとぉ。
(漢字にもよりますけれども、といいたかったのを
省略してぇ、太陽の陽と勝手に判断!)

太陽のようにサンサンと明るく、皆を照らすような
(ギラギラとはいいませんでした)っていう意味ですよぉ。

そうか。いい名前をもらったなぁ。

お支払いをおわって、帰り際に
for Yoko!
と意味がわからないけれど。
言ってたっけ。。。

ラズベガスです!

  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)人間について。

2008年05月23日

師匠!

なにか困る事があると、訪ねる場所があります。
カシミールのオヤジさんのところへ。
ブティックを経営されていて、家よりちょっと歩いた先にあるのです。

あまりぱっとしないお店で、わたしがいつもいっても
お客さんはぱらぱらと見える程度なのですが、
帰り際には、現金のちょっとした束をにぎっている。

それはやはり長年お店を構えているからでしょうか。
いえいえ、なにか秘密があるのではないかと
わたしはいつもご商売のテクニックをのぞきにいくのです。

けれど、行き着く所はいつも、彼の人生観にいきあたります。
ショージキでいること。
それと感。

気にいっている洋服があっても
彼の前ではだまっていると、
これが似合うんじゃない?と
第一に持ってくてくれるのは、さすが。

そういうことが何回かあり、
今回はまたわたしのご指名が当てられるのじゃないかと
期待を抱きつついくと、

突拍子もないものを持ち出して
怪訝な顔で疑って着てみると、
なんかわたしのキャラを見通したようなもので、
いつも関心してしまうのです。

もちろん、わたしが払えそうな額は押さえられています。

お商売に関しての師は、このかたと
もうひと方。

もう一人はまったく違う方法で
自分の商売を展開されているので、これも勉強になる。
どちらがいいというよりも、自分がいいとおもって、
さらにできるところは吸収したいなぁ、と。

とにかく自分のスタイルを持っている方たちです。  

Posted by Eri Kawamura at 00:00Comments(0)人間について。